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「寛保二年大洪水余録」
(改頁) 32
同年七月一日ハ戌午ノ日
同月廿九日ハ丙戌日也、
晩七ツ時より雨降出し
六ツ時迄降相止、又六ツ
半時過自リ降出し
夜中無止事降続キ
夜之明ケ時より猶又
甚々強ク降出し、八月
朔日丁ノ戌日ナリ、然所ニ朝五ツ時、甚々鳴事
夥敷、諸人不思議之
思なし、色々ト評判
をいたし、沙汰候内ニ
段々となり近付候
所ニ、法印坊沢より
蛇水押来リト(虫食い)
驚キさわく(虫食い)
(改頁) 33
水煙リ天ニ上リ(虫食い)
但々屏風立シ(虫食い)
沢かと、又者廻りめニ而
五丈も六丈も上江水
先押上ケ、大石小石ヲ
雨之降ることくニ
二三丈高クおとり上ケ
石すれニ而霹靂之
ことく水中ヨリ火
花ヲちらして水
押来、与良口木戸
〓《ヒサ》シより高ク水
はね、押通リ、一文字ニ
橋を押落シ、御構之
柵之木を押払へ
十王堂之広庭(ヒロニワ)江
水押上ケ、御番所之
ふみ石迄水押上ケ候
たちまに両掘れて
かけ入ル、其ひゝき
大地震之入ことく、又
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雷之鳴がことし
此時、松井とにこり沢
御城下之田畑一時ニ
押損事候、此時之水ハ
一番水又二番水三番
水迄押出し候、右
同時ニ浅間山真楽寺
之入ニ寺沢と申所
より与良口ことく
なる水同事ニ押出し
堂く并ニ社地計リ
残シ、其外家者
不残押流シ、人馬并
御僧方押流、行方
知れす死ス、右之
水与良下持之くりや
川并ニ乙女川ヘ押出し
田地夥敷押流し
大小共ニ及難(虫食い)
(下略)