松代藩の家老、河原綱徳(かわら・つなのり)が記した、弘化4年(1847)の善光寺地震の記録です。綱徳の自筆本が伝わっており、昭和6年(1931)に『弘化震災記 むし倉日記』として刊行され、初めて世に出ました。昭和48年(1973)には『新編信濃史料叢書』第9巻に「むしくら日記」として収録されました。
題名については、凡例の中で著者自身が、「むし倉日記と名付たるハ、こたひの地震、虫倉山の回り村々取分て大荒にて、別に御届出たる程の事也、思ひ合すれハ、地震の来る方角例も此方に当ると誰もいふ也、しかれは此山究めて地震の元なるへしと、独ふと思うかまゝに名付たる事にて、別ニ因所あるにあらす」(「むし倉日記と名づけたのは、今回の地震で虫倉山のあたりの村々の被害が特に甚だしかったのは、別にお届けを出した通りですが、あれこれ思い合わせてみると、地震の来た方角もこの方角にあたると誰もが言っておりますので、それならばこの山がきっと地震の震源であったのだろうと、一人ふと思ったままに、このような題をつけたもので、外に特別な理由はありません」)と、述べています。
題名の表記については、著者自身が、「虫くら日記」「むしくら日記」「むし倉日記」「むしくらにき」「むし倉にき」などと書き分けていて、あえて一つに限定しようとしなかったことが分かります。ここでは『新編信濃史料叢書』に従い、『むしくら日記』と表記することにしました。