『戸隠善光寺往来』と女性

 『戸隠善光寺往来』は、長年善光寺参詣したいと願っていた母親を連れて善光寺参詣することになった人に、かつて戸隠参詣した人が、参考にと紀行文を寄せるという、書簡の形式になっています。
 これには、善光寺が女性の信仰を集める寺であったことが背景にあります。長年善光寺参詣することを願いながらも果たせず、晩年を迎える女性は少なくなかったのです。そうした母の悲願をかなえようと、老母を伴って善光寺参詣する「孝行息子」も、また少なくありませんでした。
 天明2年(1782)七月、豊前国宇佐郡東椎屋村(大分県宇佐市)の神崎右京(当時62歳)は、老母(当時84歳)の願いをかなえるため、息子の田宮と交代で母を背負って善光寺参詣した(『大分県偉人伝』)という例もあります。
 本居宣長の日記によれば、宣長の母勝(当時58歳)は、宝暦12年(1762)閏4月、親類縁者ら11人で善光寺参詣し、そこで剃髪しました。帰ってからそれを祝って「蒸し物」を配っています。長年の願いがかなったのでしょう。