23右
松本ヘ一里半、南北六丁余、相対して巷をなす、民家多く町裏に散在
す、宿の入口左側に神明の杜あり、所の本居神とす、
伊勢両皇太神を勧請して、例祭六月十六日なり、神主永持越中といふ、
○椿太明神社[是より西三丁社の中に宮あり、]祭神猿田彦命、天正十八庚寅年豊臣家の時六石の
地を属せらる、例祭六月十五日なり、村井を出て富士見橋側に句碑あり、
[信濃なるふじ見橋をこゆる日ハ雨ふりて山みな雲にかくれたり、]
霧しくれ富士を見ぬ日そおもしろき はせを
[或が日、此句翁の袖日記に見えて、東海道の句なるへし、疑らくハ、橋の名によりて好事の
人前文をかへて、爰に物したるなるべし、此所より不二山見ゆる事なけれバなり、]
(改頁)
24右
夫より平田村を越し、出川[あひの宿と云、]四丁程相対して巷をなす、又新長
屋といふ一村を経て築魔川の橋を渡り松本の馬喰町に入る、