(1)嘉永六年六月十二日
一 御会所より使ニ付参候処、御奉行様御達有之、唐船浦賀江来ル風説有之候御尋ニ付、荒増申上候、猶又書差上候様ニと被仰聞候。 9
(2)嘉永六年六月十三日 12
一 関東筋異国船騒動ニ而者追々穀物高直ニ可相成も難計、町役人心得として他所江多分之米売不申様穀屋其外心付、万一多分之米売候ハゞ其節申出、差図次第可致心得として取計候様被仰聞候間、穀屋並搗之者江寄々申付候、年寄衆江廻状出候。
(3)嘉永六年九月十七日
一 夕方御奉行様より御使ニ付太郎兵衛両人参上候処、御家中面々異国船一件ニ付御用意向差支ニ付金子才覚被成度之処、御勘定奉行も此度ハ両問屋江頼入申度先自分より申聞置呉候様、何れ成とも才覚御用立可然候。 16
返却方ハ間違無之御家中扶持方引当一割之利足を以三ケ年ニ御返却可有之旨被仰聞候。