付録 春駒一首

   春駒(はるこま 注1)一首      64
○春の初の春駒なんぞは 夢に見るさへ吉(よ)いとや申す まして美(うつ)し
い乘(しやうめ)の駒よ 年よし世もよし蠶飼(こかひ)もよし 蠶飼に取つては美濃(注2)國よ 美濃の國や尾張(注3)の國や 桑名郡のをの山腰で 留めたる種は扨(さ)
てよい種じや 種つぎ申せば越前(注4)種よ ときばら種や茨城種や 三
處(みとこ)の種を寄集め 飼女(かひめ 注5)の女郎衆へお渡し申す 飼女の女郎衆は褒(ほ)め喜んで 淺間嶽(あさまだけ)なる厚綿(注6)なんど 手にさへきりりとしたためこんで
したため申せば温め申す 左袂(たまと)に三日三夜さ 右りの袂に三日三夜
さ 兩方合せて六日六夜さ 三日にみづ引き四日に淀(よど)む 五日にさ
 
  (改頁)
 
らりと出でさせ給ひ 何で掃(は)こやら掃くべき羽根は そこら珍鳥(ちんてう)長
立鳥の 八(やつ)の風切り手に持添えて 一と羽根掃けばせんごに蠶
二た羽根掃けばまんごに蠶 三羽根掃けば皆掃き集め 扨又此蠶(こ)に
何がな喰はしよ 宿(やど)の小娘小足駄(こあしだ)穿(は)いて 綾の前垂れ(注7)錦の手襷(たすき) 是より南は皆桑畑 戌亥(いぬい 注8)の方へと指(さ)いたる枝を しんまと籠(こ)めてさらさら扱(こ)いて 手で押し揉んであの蠶(こ)にぱらり此蠶にぱらり ぱらりぱらりと皆蒔(ま)き散し 此蠶彼蠶(このこあのこ)の桑めすやうを 物によくよく譬(たと)へて見れば 昔源氏の厩(うまや)に立つた 名(めいば)の駒はまきや二方(ふたかた) 朝日に向いてはもとどりどりと 夕日に向いてはうらそよそよと 喰(く)うにも
似たり這(は)うにも似たり 獅子に休んでしんじつ蠶飼ひ 竹に休んで
たつたとまさり ふなに休んでふんだん(注9)蠶飼ひ 庭に休んで俄(にわか)に育
ち 四度(よど)の起臥(おきふ)し難癖(なんくせ)無うて 蔟(まぶし 注10)にのぼりて作りし繭は 天(あま)の河原の瀨に積む石に 重(おも)さも似たり堅さも似たり 綿繭(注11)千石絲繭(注12)千石(ごく)種繭(注13)ともに三千石よ 美濃國は綿むき上手 尾張の國は絲とり上手
 
  (改頁)      65
 
上手上手が寄り集りて 四方四間(しほうしけん)の絲部屋建てて 二十五釜へさら
りと入れて 七日七夜に綿むきあげて 七日七夜に縁取り揚げて
六十六枠(わく)さらりと移し たいまん國(こく)の長者の娘 綾も織り候(そろ)錦も上
手 姉も上手や妹も上手 一とまへ織りて所は鎭守(ちんじゅ 注14) 産土(うぶすな 注15)様へと御(お)みす(注16)に上げる 二たまへ織りては熊野は三社 權現(ごんげん)樣へとおみすに上げる 三まへ織りてはお伊勢は内宮(なへぐ) 外宮(げくう)兩社へおみすに上げる殘りし絹を葛籠(つづら)につめて でやらうか車に積もか につければ
七十五駄(だん) 車に積んでよいさらさらと とうと車に皆積みかさね
京へ上げよか大阪(おさか)へやろか 京や大阪の商人衆が 扨もよい絲よい
絹地色(ぢいろ) 織(おり)と強地(つよぢ)を褒め喜んで さらば此絹買取るならば 戌亥の
方へと錢藏(ぜにくら)七つ 金藏(かねぐら)七つ絲藏七つ 蠶飼長者と さんや目出度な
りにけり。
 
 注1.門付け芸の一つ。正月に各戸を回り、の首の形をしたものを持ったり、また、これにまたがったりして歌い踊るもの。また、その芸人。
  2.岐阜県南部の旧国名。
  3.愛知県西部の旧国名。
  4.福井県北部の旧国名。
  5.蚕(かいこ)を飼う女。また、正月、初子(はつね)の日、養蚕室を掃き清めて祝う女。子歳(ねどし)または午歳(うまどし)の者が務めるという。
  6.歌舞伎衣装の一つ。綿を厚く入れた着付け。
  7.前掛け。
  8.北西。
  9.ふんだん……たくさん。〔方〕
  10.蚕が、繭(まゆ)を作るときに足場にするもの。
  11.糸をとるのに適さず、真綿とする不良の繭。
  12.製糸の原料となる繭。
  13.繭を殺さず、採卵用にする繭。
  14.その土地や寺を守る神。
  15.生まれた土地を守る神。氏神(うじがみ)。
  16.御簾(みす)……へりつきの目のこまかい、すだれ。
 
  (改頁)
 
   くどき(注1)
くどきと言ふもの數首を耳にすれど今首尾一貫して記憶してゐるも
のなければ暫(しばら)く茲(ここ)に之を省く。但(ただし)甞(かつ)て小縣郡に流れ込んだもの並に郡特有のものが存してゐたと言ふことを附記して置く。
 
 注1.民謡などで、長編の叙事歌謡を同じ旋律のくり返しにのせて歌うもの。