東京などから来る行程が書かれています。上田駅からは人車あるいは馬車で二時間ほど、坂城からも便利、松本からは徒歩で保福峠、諏訪や依田窪(和田・武石・丸子)からは富士山村(東塩田)を通るのがいいでしょうとあります。そのあとに、各地からの距離と上田別所間の定時馬車時刻表と運賃が載っています。また、郵便についても集配時刻等も詳しく書かれています。
最後に、上野直江津間の汽車発着時刻及び運賃表が載せられ、別所温泉誌の本文が終わります。巻末には七ページの広告があります。温泉案内書に旅館広告は当然ですが、蚕種広告が載るのはめずらしいことです。その広告主は「有信館・倉澤運平」で、本文中にあった氷澤の蠶卵紙(蚕種)貯蔵用風穴会社の運営者です。この風穴は、信州で最も古い風穴の一つで、倉澤運平は風穴組合のトップともなった人です。彼の風穴のほか、塩田には優良な風穴がいくつもあったことが、本文中に「蠶卵紙は尤も佳品と称せられ他郡他国へ輸出」と書かれている理由です。
明治時代後期、温泉案内としての『別所温泉誌』により、来訪者がどのくらい増えたのでしょうか。現在、上田市では風穴の調査研究が進み、平成二十八年八月に「全国風穴サミット」が別所温泉を会場にして開かれる予定です。「全国風穴サミット」が別所温泉への来訪者を増やす一つのきっかけとなるでしょうか。