[解説]

岐蘇林友 第十九號
木曽山林資料館 山口登

 第2代校長江畑猷之允は、『木曾林学校々友会報』の名称を『岐蘇校友』にかえ、明治43年10月から、それまでの年2回発行を月刊化した。さらに名称から「校友」を外して『岐蘇林友』とし、19号はその最初の号となった。こうして同誌は学内の枠を超え、地域への近代林業の啓蒙誌となり、県下の郡役所・町村役場・小学校・青年会などへ配布された。こうした取組みや県外入学生が多いことは地域の人々を動かし、同校を国立化して高等山林学校に昇格させようという運動が起り、続けられた。
 この月刊化はその後大正12年4月まで確実に行われ、全国各地のみならず朝鮮台湾などに赴任した卒業生たちへも同誌が送られ、かつ彼らも任地の林業情報などをこの誌上にもたらした。それらは中堅技術者が現場の目線でとらえたもので、大いに注目するものがある。こうしてこの雑誌は内容のあるものになっていった。
なお19号の内容は意欲的な教師たちによる原書からの翻訳、林業関係の先端記事、卒業生の任地からの報告及び生きいきとした校内ニュースなどである。