杉戸絵

杉戸絵 唐獅子杉戸絵 月に芦杉戸絵 一角獣杉戸絵 山羊杉戸絵 菊花杉戸絵 緋桐


杉戸絵(すぎどえ)
    [目録を見る](唐獅子/裏 芦に月)   [目録を見る](一角獣(狛犬か)/裏 山羊)   [目録を見る](菊花/裏 緋桐)
    [ 宝物解説へ ]
 本坊は修復中であるため、当分目にすることはできないのだが、本坊の建築に付随する障壁画も見所がある。
 本坊とは、式台や大広間、書院、寺務所、台所などを含む広大な空間で、本堂から雁行するように続いている。それぞれの部屋には、襖絵や壁貼付の絵があり、部屋の名称にもなっている。金箔を貼った部屋は「金の間」、襖絵に松の大樹が描かれた部屋は「松の間」、草花や小鳥が描かれた部屋は「花鳥の間」と呼ばれる。
 また、襖絵や壁貼付ほど大きなものではないが、通路の境に嵌められ、存在感のある杉戸絵も存する。御内仏と呼ばれる持仏堂の周辺に所在し、三面現存している。
 一つは、「唐獅子図」で、背面には、「月に芦図」が配されている。唐獅子はありきたりの画題だが、江戸時代初期の制作かとみられ、たいへん古いものである上、迫力のある表現からして筆者は相当な名手である。惜しむらくは、剥落がすすみ、傷みが目立つ。
 二つ目は、一角獣らしき動物を描いたものである。絵のうまさの点では、「唐獅子図一月に芦図」に及ばないし、時代的にも江戸時代後半と新しいが、画題としては、珍しい部類に入るだろう。
 片面に、頭に一本の角を生やした動物が二頭描かれている。尻尾やたてがみの色は赤で形は馬のようである。背面には、長いあごひげをはやした動物が二頭描かれている。こちらにも頭上に一本の角がある。
 角のある狛犬かもしれないが、もともとは空想上の動物である麒麟であった可能性もある。京都・養源院には、俵屋宗達筆と伝える江戸時代初期の唐獅子、麒麟などの杉戸絵がある。勝興寺には、もともとは江戸時代初期に描かれた前出の「唐獅子図」と対になる板戸があって、それを江戸時代の終わりに補ったのかもしれない。その際、空想上の動物であるので、図像上の崩れが生じたものかもしれない。
 それに対し、残り一面は極めて写実的に描かれた植物図である。片面に菊、背面に緋桐が描かれている。この一面のみは現在の通路に嵌められている。精密な描き方をみると、本草学が盛んになる江戸時代後期以降の制作とみられる。
 緋桐は、赤い花が美しい落葉低木で、葉が桐に似ているために、その名がある。唐桐とも呼ばれる。インド原産で、中国南部でも自生する。日本には、延宝年間(一六七三~八一)頃に渡来し、観賞用として栽培されるようになった。貝原益軒の「大和本草」(一七〇六年刊行)にも登場する。
 富山藩においては、第十代藩主・前田利保(一七九九~一八九九)が、本草学に詳しく、御抱絵師に美しい植物図鑑「本草通串証図」(富山県立図書館蔵)を描かせたことが有名だが、加賀藩においては、さかのぼって第五代藩主・前田綱紀(一六四三~一七二四)に仕えた本草学者・稲生若水(一六五五~一七一五)などの俊英がいた。稲生の『庶物類纂』六三八巻は、『本草網目』や『大和本草』を遥かに凌ぐ水準の博物学であった。病没の後には、弟子・丹羽正伯(一七〇〇~五二)が完成させて、加賀藩を通して幕府に献納したものである。こうした学問的な気運を前史背景として、描れたものだろうか。