筑豊は石炭開発の中で筑前国と豊前国の遠賀川流域に育まれました。その中で田川地域は古代の銅生産で奈良の大仏とも関わりのある採銅所や香春岳の新羅國神で有名です。近くには7世紀後半の新羅系軒丸瓦で著名な天台寺(上伊田廃寺)もあります。また、英彦山は古くから修験道で有名で、我が国を代表する山岳信仰の霊場です。
近世には伊能忠敬の二度にわたる測量が行われました。近代になると『鉱山借区図』が工部省によって作成され、九州だけは『伊能大図』が活用されています。
今回デジタル化したのは田川市に残された『鉱山借区図』などの資料です。これらの地図資料を使って近世・近代の田川の歴史を解説しています。近代には三井田川鉱業所などの炭鉱開発によって、田川の様子は大きく変わりました。その中で、道標やお遍路道、民話や山の神、明治・大正の町名も消えつつあります。
ふるさとの歴史にスポットライトをあて、文化的価値を再発見して行くのは地域の皆さんです。ぜひ、町に埋もれている宝ものを田川市立図書館にお届け下さい。いっしょに、ふるさと再発見の旅にでかけましょう。
※説明文のなかには、炭坑、炭鉱がでてきます。「たんこう」の表記は「◯◯炭坑」とし、固有名詞の場合はそのまま「◯◯炭鉱」としています。近代の炭鉱に関連する用語は、大手炭鉱、中小炭鉱、炭鉱開発、炭鉱経営、石炭鉱業などの用語で説明しています。