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市内に残る江戸時代の絵図7点の画像を見ることができます。 「下総国印旛沼御普請堀割絵図(しもうさのくにいんばぬまごふしんほりわりえず)」は、安永(あんえい)・天明(てんめい)期(1780年頃)に作成されたと考えられる印旛沼周辺の広域図です。 また、八千代市域は、江戸時代には25の村に分かれており、このうち、神野(かの)・米本(よなもと)・桑橋(そうのはし)・麦丸(むぎまる)・桑納(かんのう)5箇村の村絵図6葉(よう)(桑橋は2葉)を郷土博物館で保管しています。江戸時代のそれぞれの村の様子を伝えてくれる、貴重な歴史資料です。

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天保七年米本村絵図 天保7年(1836年) 絵図 / 絵図
下総国印旛沼御普請堀割絵図 安永・天明期(1780年頃) 絵図 / 絵図
下総国印旛郡印西筋神ノ村絵図 天明6年(1786年) 絵図 / 絵図
桑橋村案内絵図 天保13年(1842年) 絵図 / 絵図
下総国千葉郡桑橋村絵図 天保14年(1843年) 絵図 / 絵図
下総国千葉郡麦丸村麁絵図面 天保14年(1843年) 絵図 / 絵図
下総国千葉郡桑納村図 天保14年(1843年) 絵図 / 絵図
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