道南地方の旧石器

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上磯・″半次郎″発見のなぞの旧石器

 旧石器時代の函館は静かな自然の世界であった。海水面は現在よりも高く、亀田平野には古函館湾と呼ばれる海が深く湾入し、現在内陸となっているあたりには海水が満ちていた。横津岳から中山峠に続いて大千軒岳に伸びる山脈は、北は遊楽部岳に続き、渡島半島の尾根を形造っていた。北海道で最も南にある旧石器時代の遺跡は、八雲町から15キロメートルほど西に入った遊楽部岳の近くにある。大関遺跡、トワルベツ遺跡などがそれで、河川流域の段丘上にある。遺跡地域は山に囲まれた盆地状を成しており、遺跡からは石刃や石核、彫刻刀が出たり、剥片石器や偏平な槍先などが出土し、地点によって時期的な違いがわかる。道南では樽岸遺跡の次の時代に編年されるが、それより古い石器が上磯の戸切地川上流の林道14号地点から発見されている。昭和38年9月14日に、この地域の通称″半次郎″と呼ばれる場所の第3紀の化石を落合治彦らが調べていたところ、硬質頁岩製の石核が発見された。これは重要な発見なので、その後上磯町教育委員会や上磯町郷土史研究会のメンバーと共に付近を調べたが、石片を2点発見しただけで、遺跡の主体を突き止めることはできなかった。
 旧石器文化の性格を見極めるためには石灰岩洞窟を発見することがポイントになる。酸性土壌や普通の段丘上等では石灰質の骨などは溶解するか分解して形をとどめることなく姿を消してしまう。生活文化を知るのに条件のよい石灰岩洞穴は、人骨や動物の残骸がそのまま残り、石器時代人がどのような動物を捕食していたか、またどういう人種であったかを知る手がかりとなる。上磯町の戸切地川流域は石灰岩地帯であり、旧石器の洞穴が存在する可能性もあるため、その発見を目ざして北海道大学の探検部も数回調査に参加したが、戸切地川の支流に洞穴があることを聞き込んだだけで、確認することができず、調査を中断している。標高193メートルにある未踏の旧石器文化が解明されれば、より一層北海道石器時代人の源流が明らかになるであろう。