縄文土器の形式には時代的な流れ、文様や器形に伝統の要素が引き継がれているが、北海道の土器形式で、他地方の影響を受けたものと、伝統を引き継ぎながら他地方には見られない要素を持ったものがある。北海道の縄文文化の成立と地域性について河野広道、名取武光は『人類学先史学講座』-昭和13年-などで述べているが、周辺地域との関連性を考え、先史時代の交通路と文化渡来経路を、(1)津軽海峡を通じての本州との交流、(2)宗谷海峡を通じての樺太との交流、(3)千島を経てカムチャツカ、アリューシャン方面との交流、(4)日本海を渡った大陸との交流の4つと考えていた。北海道の文化の交流は、たしかに4つの渡来経路を無視できないが、縄文文化は本州との関連が密接である。北海道の南部と道央部、道東北部、道北部と大きく地域的に分けて、時代的な推移を合わせ考えると、道南では函館を中心に東北北部と同じ土器形式が早期から晩期まで発見される。これらの土器形式は北に行くに従って地方化した土器形式となる。道央部では地方化した土器形式で道南部に近いものが分布している。道東北部の各時期の土器形式は、本州や道南部のものと異なったものが発達し、まれに道南部と同様な土器形式が発見される。道北部は縄文早期の土器形式が明らかでないが、道央部や道東北部に近い土器形式が発達している。河野・名取は北海道的な土器形式を「北筒式」とか「前北式」、「後北式」と呼んだが、これらは再検討されつつあり、前北式すなわち前期北海道式薄手縄文土器や後北式すなわち後期北海道式薄手縄文土器は、編年的に縄文時代以後のもので、形式名も改められるようになった。道央、道東北、道北の地域性が土器にも反映しているが、それらの要因についてはまだ明らかでない。