講和と夷役

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 以上のような推移のなかに、その後、アイヌ民族の動静も比較的平穏が続いた。ことに義広の子季広の時代に至り、いたずらに彼らと事を構えることの不得策なのを悟り、懐柔よろしきを得るとともに、アイヌ民族の珍重する宝器を与えて歓心を買い、天文20年東西のアイヌ酋長と講和を結び、勢田内(瀬棚)の酋長ハシタインを上ノ国において西部の酋長とし、また、志利内(知内)酋長チコモタインをもって東部の酋長として、「夷狄の商舶往還の法度を定め」て、諸国から往来の商船から役銭を徴し、その一部を「夷役(いやく)」と称して、東西の両酋長に与え、東西蝦夷地から来るアイヌ船の停地を一定し、それによってアイヌ産物を自家の手に独占する方策をとった。