幕府の御救交易

385 ~ 386 / 706ページ
 老中田沼の失脚後、一時北方警備に冷淡であった幕府の中にも、この騒乱を契機として松前藩を移封し、幕府自らの手で辺境を治めようとの強硬な意見も出るほどであったが、まず松前藩の善後策を見守ることとなり、ただその監督を兼ね模範的な交易を試みる御救(おすくい)交易を行った。それは松前藩が直接または請負人を通じて行うアイヌ交易の一部を、幕府が直接に模範的に行うとしたもので、前節にも述べた通り、かつて天明5・6年の調査の際も、調査を助けるために2隻の商船を建造し、試験交易を行い、成功をおさめた経験に基づくものであった。かくて寛政3(1791)年普請役田辺安蔵、小人目付高橋助四郎、豊田源八郎らは厚岸に至って交易を営み、同5年まで実施し、その成績はすこぶる良好で、後に幕府東蝦夷地直捌(じかさばき)の基礎をなした。