箱館の警備

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 この飛報が江戸に達すると、9月22日幕府は津軽藩に命じ、一隊の兵を出して箱館を守らせ、同月25日藩主章広は参勤のために福山を出発したが、途中仙台領水沢で江戸留守居役尾見蔵多が老中からの命令書を持参したのに会い、同地から帰藩した。なお11月津軽藩番頭山田剛太郎、目付佐野吉郎兵衛以下557人は、幕命によって弘前を発し、三厩から箱館に渡って警衛に任ずるという、物々しい警戒体制をとっている。
 以上のように蝦夷地近海の頻繁な異国船の出没に、幕府はいよいよ北方警備の急務なことを悟り、その経営の積極的な推進を痛感するに至り、ついに寛政10年180余名からなる大規模な巡察隊を派遣し、その調査の結果蝦夷地直轄の大方針が決定された。