此箱館の湊はいはほ多き磯辺なれば、井をほることたやすからず。民草の茂り行くにしたがひ水自ら乏し。されば、去年の冬祝融の災有し時も之を防ぐによすがなふして三百宇あまりを失ふ。筑前守戸川の君と、我たのみまいらする君とは、時の尹にてましませばいふもさら也。昔蝦夷が嶋の事にあづかり給ひし左近将監石川の君も亦此事を深く歎かせ給ひ、三たりの君たち心をひとつにして、民の為にとて此井戸を作らしめ、其水をあまたの家々にひかせて、朝な夕なの助とし、あるは非常の備とし給ふ。かくてやつがりに其事を誌し、はた井の名をもかうがへよと仰事あるにまかせ、竊におもふに、井は養ふて窮らずとも、また民を労り勧めたすくともみえし古き文の深き心を汲みとらせ給ふ、三たりの君たちに擬へ奉らば鼎の泉ともいはましやと、かしこみかしこみ申侍る |
文化四年三月 高阪龍介源元禎誌書
羽太安芸守書記