旗合せの糾問

504 ~ 505 / 706ページ
 それがどういうことからか、折から厚岸のウラヤコタンの外国船乱暴事件の調査のため、蝦夷地に派遺された幕吏川窪忠兵衛の耳にはいり、船が更に根室に行った際、船頭外一同会所に呼び出され、糾問を受けた。しかし、重蔵らは異国船との関係は何もなかったと申し述べたものの、再応の取調べで、ここで真実を申し述べれば何もないが、万一乗合せの儀を隠しおくならば、やがて江戸に引かれて糾問されるであろうということなので、それを恐れ、重蔵らは前記のごとく風がなく漂っていたところロシア船に行き逢い、印の小旗を出して通過したが、異人は小船で乗込み有合せの酒を奪い取って去ったということを申し述べたのである