この小旗を示して通過するという旗合せのことから密貿易の嫌疑となり、引続き福山で糾明を受け、更に同年11月金兵衛および船頭重蔵ならびに水夫ら11名が江戸に召喚され、さきに箱館奉行であった当時の勘定奉行村垣定行の取調べを受けるに至った。そもそもこの旗合せというのは、これより19年前の文化9(1812)年、高田屋嘉兵衛がロシア人に捕えられカムチャツカに至った際、日本に幽閉されていたゴロウニンの釈放を約し、その斡旋に努力したことによって、ロシア人は大いにこれを感謝し、これに報いるため以後高田屋の船舶には、いかなることがあっても劫掠(ごうりゃく)などせず、もしも海上で遭遇した場合には、高田屋の店印である![]() |