しかし一方、風俗、言語などの相違から、時としては互に衝突するトラブルもあった。ことに外国人の水兵などは、概して知識も低く気性も粗暴であったため、上陸して酒を飲みしばしは暴行を働き、これを鎮めるため反して懲らしめなければならない場合もあった。かつて米国水兵数名が南部陣屋の門内に入り、勝手に三道具(みつどうぐ、刺股(さすまた)・突棒(つくぼう)・袖搦(そでがらみ))を玩弄して冷笑し無礼を極め、門番の足軽が止めてもきかないので、6尺棒で1人を打ち、続いて怒ってかかってくる残り3、4人もことごとく打ち倒したため、悲鳴をあげて逃げ去り、それからは、この一行の水兵は陣屋の前を通るたびに恐ろしそうな態度を見せ、途中わが兵に会えば避けて通ったという。またかつて外国水兵が酩酊して乱暴を働き、制止しても聞入れなかったので、五十集商が寄り集って棒でなぐり、半死半生の目にあわせたこともあった。またイギリス商人ポーターの飼犬が非常に強暴で、同心倉滝次郎に吠(ほ)えついたので、次郎は石を投げて追い払ったところ、ポーターは大いに怒り、出てきて次郎を打ちあるいはけりなどしたので、次郎も怒って刀を抜きポーターを切り、負傷させるという事件もあった。