当時、
箱館開港に対する庶民の感情をよく表わしたものに、次のような市中に流行した、「
箱館開港
チョボクレ節」があった。
ヤレヤレ畜生奴、畜生の親玉、頭はヂャンギリ、目玉の変った異人の交易、六月このかた箱館お開き、日々繁昌入船出船は千艘や万艘、おまけに蒸汽船アメリカ碇をオロシャイギリス、南部の注進お櫓太鼓は、二ツ合図でドンドンドンドン、それを聞くより応接係は睡い目擦って、うろたえ廻ってふんごみおやりな、お太刀に若党、殿様めかして乗留なんぞと威張って出掛ける、処はよけれど俄の大風、沖は暗くなる浪は白くなる色は青くなる、汐水かぶって大小は赤くなる、ふんごみ濡して嬶は泣くよだ、勉めたところで手柄になるまい、命あったがメッケイものだよ、一体お水主は名のみ斗りで、役々なんどのお草履やお槍や、リャンコの中間使いからしの捨所なくって、江戸へ帰すニヤ路用がついえだ、うちに置いてはおままがついえだ、さればと言っても狆ころ見た様に、隣裏へも捨てても置けまい、おれが願って御家人にしてやる、何の彼のと親切めかして、お水主に売りつけ古着の紋は、御羽織一つで主人はお手切れ、売られた処が足は頼みか何かを持つのは重くてならねエ、一杯はまって大喰したらば、一度の飯にも足らないお手当、今となっては後へも先へも引くも進むも心に任せぬ、面舵取舵右に左に真帆は横にか片帆は縦か、風の吹くのも西か東か分らぬお水主だ、それでお船が自由になるなら、大工は壁塗れ左官は馬ひけいざりの飛脚も悪いといえねエ、よく言う屋敷で地取りで態々、下ったお方が一連半句の論も立たずに、胸に詰った胆玉釣上げ、ツッツキ散らしてついに出す薮医者、目算違って通辞が悪いと苦しい言いぬけ、何の御役で遥々御苦労、訳の判らぬ書翰の遣り取り、苦しい師走に重役初め慰斗目の裃、止宿所廻りは本気ヂヤあるまい、ざん気でやるのは異人がこわいか、箱館市中はどうでもよいのか、いりこ(煎海鼠)の裁許は如何して下さる。盗んだ異人は高みで見物、技葉の引合市中のあきんど(商人)日々の御吟味砂利(白州)ヘ七度くらいとけ(留置所)三度愛宕さん(愛宕社)でも八幡さんでも祈り甲斐なき祈り声、縁者こぞってうらみて上の御政事こうも変るかドルラル(弗)相場、諸品が高いと言うのは御無理だ、高いがいやならコンシュル(領事館)の旗竿、半分切らせろ狭い地内へ堂を建てるの、牛を殺して霊地を汚して諸仏も泣きます、日蓮菩薩の秘密の九字でも及ばぬ十字の宗旨を議れば、おしかり受けるし否応言わさず、院主のお寝間は止宿所に割られて、大黒どころか釈迦も達磨も異人ニヤ敵わぬ、埋るは今度の海岸突出し異人の為めニヤよいかは知らねど、市中は難儀のドルラルに、通用取らねキヤしかられ取れは背負物、運上会所の引替願えば赤い御判のお守見たよな書付下さる、神棚へ上げれば古いお札と一緒に纏めて、海ヘザンブと納まりやつかない、首尾好くいってもふた月過ぎれば、例のお欺し其中食はずにいるのも御難だ、いたんだ武器さえとうとう渡して、米も市内で勝手に売れよは、最初のお触れが面目あるまい、お前方帆掛けてお江戸へ帰る身、町人百姓は土地の冥利で退散も出来ぬ故、永世のお取持を頼むぞ、親父奴三ツ子を騙すよに、其日時イツテ逃れの三日法度も其手は食はない、食うか喰はぬで境の借金、蔵宿一杯ほか借りの利息に、具足を曲げても廻らぬ首さえ、括らニヤましかと貧乏凌ぎの箱館在住、在郷なんぞくるくる廻って、ぐるぐる坊主の漢東なんぞに、剣突喰って豆食った鳩のよに、目ばかりキョロキョロ、ドンと打った鉄砲は止宿所泥棒、此方が悪るけりや仕様も無けれど、外聞知らずが、滅多無精に市中に張札、張ってよいのは一六勝負の交易盛んに、昆布やごまめや五升芋なんぞで、異国の宝も積込め持込め、おかへは山つけ海へは埋込め、松の並木の江戸迄地続き、竹の齢の幾千代も、宝の箱館お開きお開き。(市立函館図書館蔵) |