山田寿兵衛等の埋立

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 安政3年弁天岬台場築造の際、当時ここにあった山田寿兵衛の倉庫地820坪余を上地した。寿兵衛は、土蔵12棟、板蔵3棟の取払いを命じられ、その後山上新地に換地を給与されたが、そこは倉庫地には適さないので、取扱貨物の多い問屋大津屋茂吉と共同し、翌4年地蔵町海面(いまの豊川町)縦50間、横100間の埋立を出願して認可を受け、文久2年から工事を起こし、翌3年にほぼ竣工した。