島野市郎治の埋立

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 島野市郎治は船大工を業としていたところから、広い土地を要するので、安政4年地蔵町海面山田寿兵衛らの埋立地西方を出願し、許可を受け1,715坪余を埋築して造船所敷地としたが、文久3年になってそのうち704坪を英国人ブラキストンに貸付けた。