外国人医師と施療

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 安政5年2月、米人医師G・M・ヘーツが来箱、同国貿易事務官ライスと共に浄玄寺に止宿し、9月にはロシアから医師ゼレンスキーが同国の領事と共に来て居住した。また、ロシアからは海軍軍医アルプレヒトも来ている。
 これら外国人医師は、自国人の診療のみならず、箱館市中の希望者の診療も行いたい旨申し出た。一方、市中の人々もそれを希望していた(『安政六未年願書并歎願書』)ため、箱館奉行は「届出た上で外国人医師止宿所へ赴いて治療すること」という条件付きでこれを許した。この奉行所の処置に対し、幕府からは、
 
救命の儀ニ候得ば無余儀事情にも相聞候得共、終ニは其恩儀を感じ、深く信じ親しミ候処より、後弊をも可生道理ニ付、右医師より御国の医師修業候儀は格別、夷人より療治受候もの共ハ、追々ニ相止、後害無之様差含、被取扱候様存候事(『幕末外国関係文書』)。

 
 という達しが出された。
 また、文久年間、官雇医師から、ロシアその他の外国人医師を病院(次項医学所)へ出張診察させたいという請願があり、文久2年、奉行は、病院で外国人医師に診察させるというのは面目に関するので「医学伝習」という名目でこれを許した。