医学所の出現は、また本道医師界の進展にも大きく寄与するところがあった。幕府は前直轄、再直轄の両時代とも、江戸で雇った医師を蝦夷地の要所に配置していたが、松前藩復領の時も藩は蝦夷地の勤番所に医師を駐在させた。しかし、このほかに旅医師で勝手に蝦夷地を徘徊して、薬を高く売って歩く者もあった。そこで箱館医学所の設立を機に、文久2年その取締りに乗り出し、鑑札を発行してこれを持たない者の横行を禁じた。なかには偽薬を売って歩く徒輩もあり、人命にかかわる問題として重視し、以後は必ず箱館医学所の改めを受け、鑑札を所持するようにした。『開拓使事業報告』の記録には、「医学講習規則を定め、且箱館所轄開業医師取締規則を設け、各地方医を業とする者の品行を糺し、印鑑を交附す」とあって、医学所出現の意義はこの点でも大きかった。