『新北海道史』の整理

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 特に箱館府の廃止に関しては諸説があり、『新北海道史』は、中央の官制改革を含め、次のように整理している。
 
A 開拓使の設置をもって従来の箱館府が廃止されたとする見解。-『明治史要』、『地方沿革略譜』
B 3府(東京、大坂京都)以外を廃府置県したとき箱館県が設置されたという見解-『北海道史』付録年表
C 箱館府廃止令によって箱館府が廃止されたという見解-「太政官日誌」、『法令全書』、『開拓使布令録』
D Bの見解の発展で、すでに箱館は県となっているのであるから、当然Cの見解である箱館府廃止令は、箱館県の廃止令とする見解-『北海道史』付録年表
E 明治2年8月以降に見える裁判所について従来の裁判所の継続としてではなく、新たに箱館裁判所が設置され、また廃止されたとする見解-『開拓使布令録』

 
 これらの見解に基づき、
 
1 明治2年7月8日の官制の大改革で開拓使が創置。
2 同年7月17日の太政官布告では3府(東京、京都大坂)を除く諸府を廃して県と改称としているが個別の改称令がなければ県とならない。
3 同年7月24日発布の箱館府廃止令で箱館府廃止。
4 同年7月25日再び箱館裁判所を設置。
5 同年9月30日箱館裁判所を開拓使出張所と改称。

 
 と整理し、2年7月24日には、従来蝦夷地を掌握していた行政庁としての箱館府が廃止され、一方開拓使も7月8日すでに設置されたとはいえ、開拓使庁は仮に民部省内に置かれ、蝦夷地支配の体制は未だ整っておらず、この時期また庁務も確立されていなかった。このような段階で、旧箱館府を主体として暫定的に置かれたのが、再置された箱館裁判所と呼称される機関であろう。次いで、9月25日英船テールス号で東久世通禧開拓長官以下の開拓使官僚が箱館に到着、30日に開拓出張所を開設におよんで、再置された箱館裁判所は廃止されたと、見解をまとめている。