6年3月30日に東京出張所の編輯課は「開拓使職務定制」の草稿を進達して黒田次官の判断を仰いだ。この草稿の内、支庁の事務章程のみを抜粋すると次の通りである。
支庁事務章程 | |
管内分ツテ六大部トス、其一ハ札幌本庁ニ隷シ、其余ハ函館・根室・留萌・浦河・樺太ノ五支庁ニ分隷シ、判官幹事ヲ派出シ各其部内ノ事ヲ督ス、部内ノ事務本庁ニ稟議シテ之ヲ処分シ、其常例成規アル者ハ便宜施行ス | |
函館及樺太、外国交際貿易ノ事務ハ都テ公法ニ照準シテ之ヲ処分ス | |
支庁ノ事務ハ庶務、会計、民事、聴訟四課ヲ以テ之ヲ分掌ス | |
庶務課 | 大主典ヲ以テ課長トシ、上官ノ指令ニ従ヒ課中ノ事務ヲ管理ス、下三課之ニ準ズ 公文ノ受付、簿書ノ記録及ビ職務ニ関スル事ヲ掌ル、凡処分スル所ノ文書ハ総テ上官ノ検印ヲ署ス、下三課之ニ準ズ 課中ノ事務都テ庶務局(本庁)ノ例ヲ照シテ之ヲ処分ス |
民事課 | 租税及戸籍駅逓営繕ノ事ヲ掌ル、課中ノ事務都テ民事局(本庁)及土木営繕二課ノ例ヲ照シテ之ヲ処分ス |
会計課 | 庁内一切ノ出納ヲ掌ル、課中ノ事務、都テ会計局(本庁)ノ例ヲ照シテ之ヲ処分ス |
聴訟課 | 部内訴訟ノ裁判笞杖以下ノ断刑及警邏囚獄ノ事ヲ掌ル、課中ノ事務、都テ刑法局(本庁)ノ例ヲ照シテ之ヲ処分ス |
(「開公」五七三八) |
この草稿にどのような判断が下されたのかは確認できなかったが、5月9日、東京出張所から支庁事務は4課(庶務課、民事課、会計課、刑法課)に分課(函館、樺太は外事課を加えて5課)することが、札幌本庁へ通知された(同前)。先の草案中支庁分課のみが制定され、章程は正院伺後ということで見送られた。続いて5月28日には札幌本庁から東京出張所へ、支庁の分課が制定された現在、本庁が「係」のままでは支庁との関係からも不相当なので「係」を「局」と改称したいので、大至急回答が欲しいという伺書(同前)が提出された。東京出張所からは6月3日、本庁事務分課を改定した旨と東京出張所の分課も定めたこと(表2-3)が伝えられた。
表2-3 札幌本庁、東京出張所分課表
札幌本庁(6局と学校、病院で30課)
局名 | 課名 |
庶務局 | 受付課 職務課 記録課 編輯課 外事課 |
民事局 | 租税課 勧農課 戸籍課 駅逓課 廻漕課 |
会計局 | 検査課 出納課 貸付課 用度課 |
工業局 | 土木課 営繕課 勧工課 |
物産局 | 鉱山課 博物課 製物課 |
刑法局 | 断刑課 聴訟課 囚獄課 警邏課 |
学校 | 事務課 教授課 女学課 |
病院 | 事務課 教鞭課 主治課 |
東京出張所事務分課(7課) | |
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開拓使にあっては、まず支庁の分課が決められ、これを受けて本庁と東京出張所の分課も決められたわけである。3月30日の東京出張所編輯課の「職務定制草稿」の次官伺は、「進達」したものであり、5月9日の支庁分課制定の本庁への通知には函館支庁を除く旨が付記され、札幌本庁、東京出張所の分課は、この支庁分課制定を受けての動きであるのをみると、この一連の事務分課制定は函館支庁が主導していたのではないかと思われる。函館支庁は、8月26日に支庁分課の但書「課中事務多端ニシテ之ヲ分掌スルハ何係ト唱フルベシ」を受けて、支庁内各課の事務分掌案(表2-4)を次官伺書として東京出張所へ提出したが、「追テ事務章程御確定可相成ニ付、先夫迄ハ従前ノ通御据置可然、次官殿へ稟議の上此段及御答候也」との判断が示され見送られている。
表2-4 函館支庁各課分掌案 (明治6年8月伺出、翌9月実施見送り決定)
課名 | 事務分掌係名 | 課長名 |
外事課 | 常事係 訟事係 録事係 訳語係 税関係 | 大主典 杉山孝治 |
庶務課 | 常務係 編輯係 記録係 学校係 | 大主典 原退蔵 |
民事課 | 常用係 戸籍係 租税係 地券係 駅逓係 消防係 邏卒係 | 大王典 有竹裕 |
会計課 | 正算係 検査係 出納係 用度係 運漕係 生産係 営繕係 | 大主典 井上進 |
刑法課 | 聴訟係 断獄係 書記係 訴所係 懲役係 囚獄係 | 中主典 井本厚宗 |
病院 | 右ノ四掛ハ各支庁諸課諸係制限ノ外二候得共、属スべキ所無之候二付、別派二相立置申候 | 7等出仕 馬島譲 |
海関所 | 中主典 野田大吉 | |
船艦 | ||
貸付掛 |
「開拓使公文録」5738より作成
注1 会計課の生産係には「此生産ハ兼テ申立候生産局ニハ無之、煉化石瓦石炭製革等ノ事務取候義二御座候」との但書が付いている。
注2 課長名は明治6年の「職員表」の各課の筆頭者を入れたものである。
すべてのことは「事務章程」確定後とされた「開拓使職制並事務章程」が制定されたのは、それから2年後の8年11月25日であった。この日は、元老院が創置された日で、元老院と共に内務省、大蔵省、陸軍省、文部省、工部省の職制と事務章程も制改定された。中央官庁の約半分が事務処理の規定を整理したわけである。
「開拓使職制並事務章程」によると、開拓使の職制は、長官(1人)、次官(1人)、大判官・中判官・少判官(事務糺判)、幹事・権幹事(事務幹理)、大主典・権大主典・中主典・権中主典・少主典・権少主典(文案勘署)、史生(公文繕写)、使掌となり、事務章程は、長官の意見を具申上奏、裁可後施行の事項(上款、11か条)と長官の意見をもって専行できる事項(下款、31か条)に分けられ、13年の改定では、上款のみ10か条となり、下款条項は「其他ハ長官之ヲ専行スル事ヲ得」に改められた。
「開拓使職制並事務章程」が制定された10日後の12月25日に、諸局章程が制定され、札幌本庁は前の6局(庶務局は記録局と改める)と学校、病院を合わせた学務局の7局体制となり、支庁は記録課、民事課、会計課、刑法課の4課体制となったが、函館支庁は7年に司法省管下の函館裁判所が設置されて刑法課が廃止されていたため記録課、民事課、会計課、外事課の4課となった。このうち外事課は11年2月8日に廃止されて記録課外事係となり、函館支庁内は記録課(公文、履歴、編輯、考査、受付、外事の6係)、民事課(勧業、戸籍、駅逓、警察、営繕、学務、地理の7課と病院、監獄署)、会計課(検査、出納、租税、貸付、統計、用度、の6係と船改所)の3課体制となった。この後13年に郡区役所、戸長役場が置かれたが、主にこの郡区役所・戸長役場の仕事を所管する形で支庁内各課の事務分掌を記載した資料が市立函館図書館に「開拓使各係事務分掌表」として残されている。