これまで距離料金制を取っていた駅逓寮は、6年3月郵便規則を改定し、封書の料金を郵便税とし、重さ別に全国一律(2・4・6銭、市内便は1・2・3銭)に改め、同時に「五月一日ヨリ信書ノ逓送ハ、駅逓頭ノ特任ニ帰セシメ、他ハ何人ヲ問ハズ一切信書ノ逓送ヲ禁止ス、若其禁ヲ犯シ候者ハ郵便犯罪罰則ニ照シテ処分候条此旨可相心得事」と、郵便逓送業務は駅逓寮職員(郵便取扱人を含む)以外は出来ない旨も布達した(明治6年「箱館町会所御触書」)。
また、この年の12月からは郵便ハガキと封筒の発行も開始した(6年11月19日太政官第389号布告「太政官日誌」『維新日誌』)。市内往復用ハガキは半銭、全国往復用はがきは1銭で、郵便封嚢(封筒)は1銭、2銭、4銭、6銭の4種が発行された。
明治8年1月には郵便役所を郵便局と改称する旨の布達があり(明治8年「御用留」)、函館郵便役所は函館郵便局となった。この頃大町85番地ノ2の新庁舎に移ったようである。その後12年の大火で庁舎は類焼、一時恵比須町の内国運送会社出張所内、翌13年3月には同所の仮庁舎で営業、10月、末広町116番地に新庁舎が完成して移転した。また8年1月22日からは函館近郊の郵便逓送(下湯川村初め8か所の郵便局設置)も開始され、翌9年3月には明治5年10月に開設された路線の増強が行われ、往復回数はほぼ2倍強となった。
11年には郵便貯金が開始され、函館郵便局は2月20日から受付を開始した。