開拓使の廃止と3県設置

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 開拓使10か年計画の満期を迎えるにあたって、開拓使の事業継続計画の画策に失敗した黒田開拓長官は、明治14年12月28日に辞表を提出、翌15年1月11日内閣顧問に転じ、参議兼農商務卿西郷従道が開拓長官兼任を命ぜられた。西郷長官は、前文で「諸県同一ノ制ニ帰セシメントスルハ固ヨリ時宜ニ適セス」(「西郷開拓長官建議」『新撰北海道史』史料2)と述べた廃使置県に関する処置方針を上申、2月8日、開拓使は廃止され、北海道は函館・札幌・根室の3県分治体制となった。しかし、北海道の諸事業が各省に分属すると、西郷開拓長官の危惧が現実化し、翌16年1月29日、北海道の諸事業を所管する北海道事業管理局(局長は元開拓大書記官の安田定則農商務大書記官)が農商務省の1局として誕生している。
 函館県は旧開拓使函館支庁の管轄地を所管することとなり、開拓大書記官の時任為基が函館県令、開拓権少書記官の有竹裕が函館県大書記官、開拓御用係准奏任堀金峰が函館県少書記官に任命され、函館県の上局を担った。開拓使函館支庁の残務取扱いには有竹裕函館県大書記官があたり、3月11日には、16日から函館区元町1番地の元開拓使函館支庁庁舎を函館県庁として開庁する旨が布達された。
 函館県の分課体制は、開拓使函館支庁時代と比較すると細分化され(表2-59)、職員も旧開拓使函館支庁職員がほぼそのまま県の職員(2月15日県官辞令)となっている。
 14年の事件の際、函館市民が強く払下げを望んだ常備倉と船舶のその後であるが、まず船舶は払下げを修正、拝借を請願して許可を得ることになる。開拓使の廃止後、船舶は農商務省の所属となった。そこで、最初に汽船と倉庫の払下げを出願した36人の内、杉浦嘉七小林重吉、常野正義、藤野喜兵衛、田中正右衛門、佐野専左衛門、村田駒吉、金沢弥惣兵衛、安浪次郎吉、相馬哲平、泉藤兵衛、脇坂平吉の12人が元開拓大書記官堀基と共に、北海社が払下げを受ける予定であった6艘を含めて9艘の船舶の拝借を農商務省に出願、北海道運輸会社を設立(15年3月10日)した。3月23日農商務省から許可が下り、4月営業を開始したのである。
 
 表2-59 函館県事務分掌
課名
分掌事務
係名
職名
官等
課長名
月俸
庶務課政令認体、民情視察
戸口統計、布告布達の公布
郡区管掌、議会管掌
外国交際、職員進退典礼
社寺、徴兵、賑窮、出版
新聞、文書の往復
史誌の編集、簿書の管理等
常務、職務
受付、外事
戸籍、編輯
課長心得4等属村尾元長
40円
勧業課興業殖産、職藝勧奨
物産振興、殖民、駅逓
郵便、官船等
農務、商工
水産、駅逓
殖民
課長心得御用係二木彦七
60
租税課租税徴収
賦金協議費等の事務
国税、雑務
地方税
課長2等属丸茂謙吉
50
兵事課陸海軍兵事課長心得5等属大庭機
35
学務課学事督励、教育普及督学、理事
報告
課長心得兼函館師範学校監督6等属村岡素一郎
30
衛生課衛生視察、人民健康保持医務、保全
統計
課長兼医学所長函館病院長御用係深瀬鴻堂
150
土木課道路橋梁水理堤防其他建営土木、営繕課長心得4等属木村成苗
40
地理課官民有の土地管掌
土地測量、山林保護培養等
山林、地籍
測量
課孝心得5等属野沢房迪
35
出納課金穀の出納計算管理
公債貸付、銀行、調度
調査、主簿
掌貨、銀行
公債、用度
課長3等属石井広正
45
出港税係出港鋭敏収
物品船舶出入調査
港内昏内国商船取締
係長2等属阿部重遠
50
警察本署警察事務警部長心得2等属相当山内久内
50
監獄署監獄事務副典獄3等属相当樋口光明
45

 明治15年5月30日番外布達『明治十五年函館県布達々全書』、明治15年『函館県職員録』より
 注1 明治17.5.16庶務課編輯係を廃止し、記録係を出港税係と同様の形で置く
 注2 明治17.6.19租税課を収税課と改称
 注3 明治17.9.27収納課の係を整理、地租、水産税、雑税、収納、地方税の6係に改正
 注4 兵事課は明治16.2.14設置