保税倉庫のはじまり

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 外国貿易は、始め長崎に限り行われたが、オランダの外にアメリカ・ロシア・イギリス・フランスを加えた5か国条約を締結、開港、関税設定を行ったが、「併し、関税の即時徴収を苦痛とする外国人の為めやがて保税倉庫制度(借庫制度)が設けられた。この制度は、たまたま後半成立した倉庫業に関する諸制度に対し教化的の役割を演じている」(前掲書)。
 慶応2(1866)年、保税倉庫法の先駆たる借庫規則が設けられた。借庫とは意味不明の表現であるが、現実は貨物の蔵置場所を提供し、貨物保管の責に任し、かつ寄託物は、当初外人の保税貨物に限られていた。この規則は神奈川では慶応2年5月19日、長崎、函館では8月23日実施、その後、神戸大阪および新潟にも実施された。この規則はイギリス人ベンジャミン・シールの起草。明治2年の改正はアメリカ人トーマス・ホッグの意見を入れたもので、明治6年運上所が税関と称されたのちも継承された。この制度は、イギリスの保税倉庫の直輸入である。この倉庫の責任者は、各港運上所で、荷役費も運上所が支払っていた。「売込の外人は荷役費の負担は全くなくて済む、或は蔵敷料に荷役費も含まれているといったような関係になっていた。庫内荷役、引込みの荷役等を日本政府で引受けた関係上、各地運上所で下請人足と人足費の取極を為した」(前掲書)。
 明治以降も「税関(運上所)の附属倉庫は外人本位の倉庫として存続し、上屋、爆発物倉庫、石油倉庫等の制も、外国から輸入され、之を通じて外国の倉庫に関する諸制度が我国に移入されている」(前掲書)。借庫は長期保管、上屋は短期の蔵置用倉庫である。
 幕末、場内整理の規程もなく、貨物の出入は貨主の自由に放任している。明治5年8月、お雇い外国人のイギリス人ラウタの草した上屋規則を実施した。上屋の蔵置期間は24時間で、この間、敷料は徴しない。貨物が災害に罹るも責に任ぜない。24時間経過すると、貨主の費用により仮庫(収容倉庫)に移し、なお48時間、無料無責任で蔵置する。それでも引取のない場合に、敷料を要する借庫に移されるとした。これは外国人にのみ適用されたもので、外国人には甚だ都合の良い制度であった。この規則は、新潟、函館、長崎に施行された。これでもまだ外国領事は反対で、神戸と大阪では、修正、11年1月、これとは幾らか異なる規則を実施した。各地上屋規則は、明治32年8月条約改正により廃止、以来、関税法により、上屋規制が行われることになる。「明治の初年には、内外の汽船会社は、運送品の荷捌、保管の為、主要港に於て自ら相当の倉庫を経営していた」「新企業たる商事会社も、自ら倉庫を経営した、又、開港以来、各開港場に、次第に店舗を設けた外国商館も本邦の問屋や商事会社の如く、当初は専ら私営倉庫を以て営業していた。更に銀行その他金融機関が物品担保貸付の業務上に倉庫を有っており、中には倉庫業を兼営してものでもった」(前掲書)。