しかし邦商側はこの内約に関して在留清商には実行する意図はなく、単に各同業規約を無効のものとし従前の取引習慣を固守することがねらいであるとした。こうした両者の圧轢のなかで4月中旬から6月20日にかけて60余日にわたり函館では一切の取引が停止した。邦商側が一種の対抗措置として不買運動をしたためであった。5月25日に函館県の時任県令は前田正名農商務省書記官にあてて、同業組合結成の目的は本道物産販売上の宿弊を一掃し、特に在留清商に対するものが第一義の改正点であるので、それに対して清商側からは遠からず種々の妨害工作がなされるであろうとの通知をしている。
こうした取引停止に至り有力商人のうち卓見あるものは清商の意図を洞察し取引を見合わせていたが、資力微弱にして清商サイドで常に営業する商人は大いに困窮を生じ、ことにそのころ前年の輸出残の拾昆布が産地から函館に輸送されたものが2000石余あった。元来拾昆布は内国商人がこれを買入れて輸出するものは僅少であり、多くは清商が買入れていた。清商はこれを横浜を経て東京に輸送し、刻昆布に製造して上海に販送する習慣であった。そこで直接には規約を固守しこれを実行しようとするも間接には清商に譲歩して売買を円滑にし目下の不利を得ようとする商人もいた。
そこで水産商外3組合役員はこの困難に対処し、そうした抜けがけ的な動きを防ぐための手段を講じようとして2、3の集会を開きその方法を協議した。この集会は主に末広町98番地の種勘七方で行われている。物産商組合の仮事務所を種宅に置いたことから利用されたのであろう。そして5月4日をもって4組連合会を設けた。連合会では広業商会、共同商会、三井物産の3社に清国向け商品を委託して上海に直輸することの協力要請をした。つまり従来清商に売り込んでいたものを一切清商とは取引しないで別ルートでの販売をしようとしたものである。しかしなかには目前の営業に困難なるものもおり、暗に邦商側の動きを清商に通牒し邦商の規約を破棄することを望む者がいるとの風説もあった。ことに前に述べたように拾昆布の滞貨も追々増進し資金繰りに困難を来す商人もいた。また3社より確固たる回答もなく状況は大いに切迫していった。その後数度の集会を開きその方法を議し、5月16日に4組連合会を開設し規約履行の方法を確定し清商に対処しようとした。また各組合員に意見聴取をして、それから着手するには時期を失う恐れがあったので組合の内外を問わず委員を選びこれに委任することに決定し投票で9名を選んだ。
選ばれた委員は広業商会、共同商会、三井物産によって規約貫徹をもくろんだ。すなわち当時輸出を担当していた3社が清商からの売り込みを拒絶するということを目指した。ところが三井はその方法を断り、このため広業商会、共同商会の両社と各組合との商議日数を費やし、ようやく委託販売その他数件を承諾するの確答を得ることができた。この時に函館県庁は某商に委嘱し区内に貯蔵する拾昆布と囲昆布を販売する方法を検討させたり、また組合に編入しないでひそかに営業するものの処分法を布達した。実際にこの布達に違反するものがいて該当者の2名が求刑を受けたという事例のあった。
6月12日4組合連合会を開き、席上9名の委員から広業商会、共同商会の支援によって委託販売の道を開いたことを伝え、また会員に対して清商側が規約の実施に応じない時はあくまでも対峙することを実行できるかと問いかけた。会場内では公然と反対するものはなかったが両社の措置にては満足を得ることはできず、暗に日清両商の間に仲裁する紳士を得て速やかにこの紛糾議を解除することを望んだ。出席したある商人はこの席で見解を表明したいが、清商に漏れる恐れもあり、投票によってこの事件解決のために委員を委嘱し進退を任せ、各員はこの委員に対して個別に見解を述べることといった提言したところ、満場賛成し4組全体より4名の委員を投票選定した。この発言に見られるようにこの期間には「函館新聞」には一切の動きが報道されていない。