両者の調停なる

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 これより先、邦商側の中心となって行動したある有力商は共同運輸会社支配人園田実徳、三菱会社支配人船本龍之助、山田銀行頭取山田慎の3名におもむき対清商との調整をひそかに依頼した。彼らは調整案を審議したが各組合間の対応の仕方が一定しないためその調整に手間取った。そこで彼らは6月12日に選定した委員4名より詳しく状況を聞き、今回の紛議は双方の主張の食い違いがあり風聞でふりまわされるということあり、こちらの状況を清商に伝えようということになった。そこで園田実徳を通じて談判をさせて6月21日に権衡取扱に関しての5か条に関して両者の決着を見た。
 6月23日の「函館新聞」には「日清商取引上の熟議」と題して問題がようやく解決したと報道した。この時点では権衡取扱の部分だけの約定書を交換した。この談判のさいに清商董事〓永祥から商業組合規約のうち権衡取扱について仲立人は日本人も外国人も含むかとの問い合わせがあり、これに対して県庁は両方を含むと回答した。約定交換結了にともない貿易関係の商人の懇親会が開かれた。翌日〓永祥は4組の代表者を招きその経緯を聞いたところ日本側では誤解があり、船本、山田、園田の仲介によって約束したことは権衡だけであり、他の点に関しては従来通りであると明言した。このため再び紛議が生じ各組合はその対応に追われた。
 しかし紛議が数十日におよび貿易関係の商業者は大いに困窮し、ことに新昆布の出産の季節を迎え切迫した状況下になってきた。とりわけ仲買商からは規約の条項を削除し清商に譲歩すべきであるとの声があがるほどであった。このため各組合選出の委員は約定書を交わさなければ清商への売り込みはしないと明言するに至り、こうした強気の背景をもって園田、船本、山田と討議を加え、清商に談判し7月18日に4組合代表委員(水産商・藤野四郎兵衛、工藤弥兵衛、小川幸兵衛、鹿島万平、物産商・金沢弥惣兵衛、野村正三、遠藤吉平、平出喜三郎、荷請問屋・田中正右衛門、吉田庄作、渋川富太郎、山下徳平、仲買商・明下良蔵、石田啓蔵、明石千代吉、石坂嘉蔵)と清国董事〓永祥との間で12か条に及ぶ約定書が交わされこの事件の決着をみた。この約定書では権衡及び手数料に関する規定、諸経費の負担率、5斤飛・付昆布の廃止とほぼ日本側の要求通り決定した。
 こうした一連の事態を函館県では「我カ商業者目下ノ浮利ニ汲々トシテ売買取引上彼我ノ権利ヲ区分セス軽忽ニ付シ去リ積年各種ノ悪習慣ヲ養成シタルニ拠レリ。然ルニ這般組合規約ヲ確立一時ニ先般ノ弊習ヲ洗浄セントスルモ第一ニ要スル処ノ金力ニ乏シク第二ハ卑屈ナル仲買者ノ多キヲ以テ前陳ノ如ク困難ノ事情ヲ呈顕スルニ至レリモ各組合役員ノ勘忍ト本港有志商人ノ尽力ニヨリ我商人カ締約シタル……我北海道物産販売上一大改良ノ楷梯トナルニ足ルヘシ」(前掲「商業規約関係書類」)と述べて、資金不足や流通商人のありかたが貿易品取引の弊害を生んでいたものが商人間の結束により事態が改善されたと総括している。この事件は清商主導の貿易取引の形態を根本的に改革しようとしたものではないが、商業組合規約の施行によって外国貿易に関する商業習慣の改革を生みだしたのであった。