中央の各紙が開拓使諸物件の政商資本への払下げが進められようとしていると報道されると、函館区民はただちに動きはじめた。すなわち14年8月10日に31名の有志が三井銀行函館支店で集会を開いた。すでに述べたように6月の集会で海運会社設立の計画は決議されていたが、この報道を契機に一気に具体化しようとしたのである。会合では社名を北海道運輸会社と定め、資本金50万円を募集し、開拓使付属船および常備倉払下を請願するため常野正義を発起人代表に選出した。同月12日に36名連名の願書が函館支庁に提出された。6月時点から比べてさらに賛同者が増加しているが、新たな顔ぶれとして藤野喜兵衛、佐野孫右衛門、小林重吉、佐野専左衛門といった旧場所請負人や国領平七、大野六兵衛、興村忠兵衛らの旧幕以来の商人、そして相馬哲平、遠藤吉平らの新興有力物産商などが加わった(「汽船会社発起人」桜庭文書・道図蔵)が、新旧交えた発起人の構成は新会社設立への関心の高まりを反映していた。8月24日の「朝野新聞」に「函館来報」として願書の大意が掲載されている。これは当時の函館の海運状況を良く伝えている。
その要旨は4点からなり、(1)は北海道の地理条件すなわち周囲を海に囲まれているので「物産興廃開拓事業の消長に影響し即ち国家の盛衰に関係する事業に付運輸の便利を拡張せしことを希望」すること。(2)明治12年の大火の際に市街復興に開拓使付属船の果たした役割は大きかった。また一般消費品を海運によって他府県に依拠せざるを得ない状況下では船舶確保が最重要であり、営利最優先の民間会社(例として三菱をあげている)は、緊急時には運賃釣り上げを図る存在であり、付属船が「他管人に払下られ人民非常に備うる船舶なき時如何なる困難あるも知らず此状態は言語に尽し難」く付属船を至当の代価で払下げることを願う。(3)近年北海道で最も勢力のある海運会社は三菱会社であり、これに支払う1年間の運賃は62、3万円の巨額にのぼっている。新設会社は北海道人民の経営になるものであり、三菱の利潤の一部を奪うことができ、それは間接的に北海道民の富裕につながる。これに対し他県人への払下は他県人の収奪という点ではなんら変わるものではない。従って道民への払下を希望する。(4)豊川町の常備倉は非常備蓄のためであり、道民共益という点からも他県人ではなく北海道民へ払下られるよう希望する。
これら要旨の中に三菱専横を非難する意図が込められているが、それと同時に開拓使付属船の地域に持っていた重要性が明らかにされている。なお「函館新聞」によれば11年9月ころに道内からの出資により安全社と称する海運会社の創設を函館区民の有志が企画していたが11、12両年の大火によって中断されていたという経緯があったという。
その後、発起人代表の常野正義は黒田長官や時任大書記官と接触するなかで、付属船払下げは決定済みのため願書を却下すること、また払下げの対象が開拓使官吏のグループであることを知らされた。そして常野はそれまでの運動の方向を変えるような発言、すなわち払下を受ける相手との合併といったことを発起人一同に告げた。この発言をめぐり、発起人会の分裂が見られ、開拓使官有物払下事件へとつながっていき会社設立の動きは中断した。