函館汽船会社 「函館実地明細絵図」より
渡島組の営業は順調に伸び業務も繁忙となり経営のめどもつきはじめた。また2隻体制としたところで21年4月に従来の組合組織を株式組織に改めて資本金を10万円とし新規に株主を募ることにした。忠谷久蔵をはじめ8名が発起人惣代となって願書が提出された。ちなみに21年の『函館区役所統計概表』には資本金1万円とあり、当初の申請では2万5000円を資本金と予定していたので、この改組はいわば増資と社号の変更、組織の変更をめざすものであった。渡島組の社名を函館汽船会社と改称するとともに田中正右衛門を社長に迎え本社を西浜町に移した。田中は第百十三国立銀行の取締役の職にあったほか、厚岸において漁業経営をしていた。田中の社長就任は同社の資金繰りに有利に働いたと思われる。21年6月には西浜町が社業に適しないとして東浜町1番地に移転した。なお翌22年11月には船場町20番地の埋立地に社屋および倉庫2棟を新築して移転した。これは海運関連の業種が従来の弁天町、西浜町、大町方面から東浜町・船場町方面へと移動してきていることに対応したものであった。
同社の「第一回実際報告」(「会社沿革考」河野文書・道図蔵)によれば役員の構成は社長田中正右衛門、取締役兼支配人笹野栄吉、取締役村山紋太郎、脇坂平吉、広谷順吉、忠谷久蔵の陣容で同年末で株主20人、払込み株数は1072株で5万3600円(1株50円)となっている(同前)。資本金払込に関しては明治26年『函館商工業調査報告』には資本金が6万9250円とあるところから払込は完了しておらず、29年の『函館商工業調査報告』には10万円となっているので資本の全額払込はこのころまでかかっている。渡島丸の所有者であった中村庄兵衛は株主としてのみの参加となっているが、株主総会では北海道丸、渡島丸の購入を議決しているところから、それまで個人名義であったものを会社新設に際して会社所有船としたのである。