明治26年7月に三井銀行が合名会社に改組と同時に、従来の公金取扱業務を主とする経営から一般銀行業務に移行する方針をたてたので、従来からも公金取扱個所の増減に伴い右取扱出張所の開閉が頻繁を極めていた。同年日本銀行が函館、札幌、根室に出張所を設け、国庫金の出納、保管、諸公債に関する事務並びに為替業務を取扱うことになったのを機会に、この年2月函館、札幌、根室3支店所属の各出張所を全部閉鎖した。それ迄に主として公金取扱のために設置、閉鎖された出張所や派出所は松前、江差、寿都、岩内、古平、石狩、月形、樺戸、空知、苫小牧、室蘭、勇払、新冠、浦河、幌泉、釧路、厚岸、標茶、紗那(択捉島)、網走、紋別、宗谷、増毛等の各所に及んでいた。更に同年9月には根室支店、10月には札幌支店を閉鎖し、約10余年後の明治38年には函館支店(北海道拓殖銀行へ譲渡)をも閉鎖した。かくて北海道における三井銀行の支店は一時小樽支店のみとなった(『北海道における三井銀行の歩み』)。