表10-12 明治19年1年間における私立小学校開業願一覧
願 い 人 (校主) | 学 校 名 | 位 置 | 収容 児童 | 授業料 | 出願日 | 許 可 日 開 校 日 |
五十嵐治太郎 堀川 道蔵 (移転) 大場 律平 浜野 清太郎 (移転) 村田 甲子郎 (移転) 長谷川駒吉 (移転) | 豊川小学校 堀川小学校 〃 一貫小学校 広頴分校 浜野小学校 〃 村田小学校 〃 有隣小学校 〃 | 豊川町7 会所町52 末広町65 宝町39 山背泊町3 相生町11 船場町40 地蔵町42 鶴岡町45 | 90人 90人 50人 60人 80人 60人 | 30銭 30銭 30銭 30銭 30銭 30銭 | 3月16日 4月6日 9月15日 4月12日 4月20日 6月21日 6月19日 9月20日 6月25日 10月15日 | 3月23日許可 4月1日開校 4月16日許可 5月3日開校 9月18目許可 4月16日許可 5月1日開枚 4月21日許可 4月24日開校 6月21日許可 7月7日開校 9月22目許可 7月6目許可 7月26日開校 10月20日許可 |
明治19年「学校設置廃合書類」より作成
この時期私立小学校が増えた理由の第一は、未就学児童を就学させるための公・私立小学校開設の奨励であり、第二は教育の後退につながる簡易科への等級替えへの抵抗、不満であり(22年「北海道庁学事年報」道図蔵)、第三が宗教団体による小学校の開校であったと思われる。
これらの理由を背景に20年代の函館では私立小学校が隆盛を極めただが、この私立小学校も第2次「小学校令」が施行された28年以降減少しはじめ、以後私立小学校の新設は無い。これらの衰退現象は、30年代の公立小学校の施設の整備・充実に相反して顕れて来たが、それに追い討ちをかけたのが28年からの授業料の減額であった(「授業料」の項参照)。従来30銭だった授業料が20銭に減額されたのである。結社組織あるいは宗教団体の経営による私立小学校は別として、児童の授業料収入のみで運営されていた個人経営の私立小学校にとっては10銭の減額は大きな痛手であり、当然経営難から廃業へと追い込まれる学校が出ることになった。
これに対し函館区は、区長の監督下に入り、児童の定員・教員の資格など12項を条件に、とりあえず28年度のみ児童1人につき7銭の補助金を与えることとした。住吉・東川・幸・高砂・堀川・若山・一貫・豊川の各私立小学校だった。
28年度に補助を与えるにあたって「遵守スベシ」とされた条件とは次のとおりである。
第一条 教育に関する総ての法律命令は確に之を遵守すべし 第二条 教育上及管理上は総て区長の監督を受くべし 第三条 生徒の定員は区長の指定する所に従ふべし 第四条 教員は正教員准教員の資格を有するものに限り採用すべし 第五条 一学級生徒の数七十名迄は正教員一名とし之に超過するときは准教員一名を増し教授に充つへし 第六条 体操・唱歌・裁縫科教員の外は他校と兼務することを許さす 第七条 教員の任免進退給料等は総て区長の認可を受くべし 第八条 尋常科授業料金二十銭以下たるべし 第九条 学校経費の出納は会計年度に因り其決算は四月二十日まて予算書は七月二十日まてに差出すべし 第十条 学校経費出納帳簿を整理し置き其収支を明にすべし 第十一条 前数条の外必要の場合には何時にても此命令条項を増減変更することあるべし 第十二条 右の条項を違背するか又は不都合の所為ありと認むるときは補助を停止すべし (自明治二十七年至明治三十六年「決議書綴」) |
これら12条の内容を遵守することは私立小学校にとっては大変なことではあるが、反面これらの条件を遵守できた私立小学校というのは、公立小学校の代用学校としての機能を十分に果たし得た私立小学校でもあったのである。
なおこの私立小学校への補助金は翌29年度から「特別補助」として在籍児童1人につき月額10銭ずつと変更され、さらに住吉・幸・高砂・東川の4私立小学校への補助と修繕費がなくなった32年度からは、私立小学校5校(堀川・若山・一貫・鶴岡・古川各小学校)への「教員給料補助」という形に統一された。また尋常小学校の授業料が全廃された37年度からは、「教員給料補助」のほか、従来の授業料と同額の児童1人に付き月額20銭の補助金が追加、配付されている。