昭和六年に第一回北海道先史時代遺物展覧会が札幌の北海道大学付属博物館で開かれ、これに亀田村桔梗野の資料も出品された。また、翌年刊行された竹内運平の『北海道史要』にも、函館市外桔梗村のサイベ沢出土の石枕が掲載されている。学術研究とは別に昭和初年には桔梗、サイベ沢の名は好古家の間にも知られ、函館の呉服商阿部龍吾は桔梗野の台地を発掘して大形の土器などを多量に所蔵していた。この所蔵品は後に北海道大学医学部に移管されたが、これらの中で阿部が特に自慢にしていたのは土偶である。土偶とは土製の人形で、縄文時代のものは容易に発見されることがない。大正八年に出版された『北海道人類学会雑誌』第一号には函館近郊湯川村発見の土偶と旭川発見の土偶が資料紹介されているが、湯川村の土偶は馬場脩が岩船峯次郎の別荘(香雪園・現見晴公園)の下の畑から採集したもので、このころ北海道ではわずか十数例を数えるほどしかなかった。土偶は先史時代の風俗と人種研究の手掛りとなることがある。人類学においてはシーボルト父子やエドワード・S・モースらによって、日本先住民族がアイヌ民族であるとする考え方や、コロポックルであるとする説などが発表され、北海道がにわかに日本民族の起源と関係ある地域としてクローズアップされたし、土偶にも関心が持たれるようになった。