貝塚を構成する貝類

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 一般に貝塚と言われているものは、縄文人が採集した貝や魚、動物などを食べたあと、その殼や骨などを集落の一定個所に集積した跡である。例えば関東地方の加曽利貝塚や姥山貝塚などでは、丘陵上に馬蹄形あるいは半月形平面に堆積し、特に姥山貝塚の貝層は一万三、〇〇〇平方メートルの範囲に環状に堆積し、この貝塚から埋葬人骨が一一体も発見され、遺跡内の竪穴住居跡からも五体の人骨が見つかって、縄文時代中期の家族構成を考える手がかりとなるなど、数千年前の先史文化解明に資するものであった。一方加曽利貝塚からは緊急調査により貝塚や竪穴住居跡が発掘され、貝塚の断面や竪穴住居跡は発掘した当時の姿のままの状態で見学できるように保存されている。またここの資料館には先住民族の生活状況が復元され、丘陵も史跡公園として整備されて、一般に公開されている。
 煉瓦台貝塚は、昭和二十四年の調査で貝塚の一部が発掘され、住居跡の一部が確認されたが、十余年後の昭和三十六年には貝塚の一帯が分譲宅地となり、区画割りができて住宅が建ち始めていた。特に三号貝塚のある地点にはすでに建物ができており、七戸が建築中であった。このため地主の内村桂作や亀田村教育研究会(代表小山政行)、近江新三郎村長、武藤霊真教育長、武内収太市立函館博物館長らによって保存の対策が練られたが、分譲地の各所有者との調整が不調に終り、保存が不可能となったため、函館市内の学校や函館ライオンズクラブなどの協力を得て緊急発掘をすることになった。このころの発掘作業は関係者の奉仕に頼る方法であったが、建築中の家主諸氏も発掘に協力した。中には建築を中止して発掘用器材置場や休憩所を提供したり、学生のための食事の用意をする人も現われるなど、一体となって発掘が行われた。発掘は八月一日から九月十日まで、北海道学芸大学函館分校、函館ラ・サール高等学校、函館東高等学校、遺愛女子高等学校の学生、生徒四〇名が参加して行われたが、前記のように奉仕作業による発掘であり、その限界内ではあったが熱意によって遺跡の性格を明らかにすることができた。当時の記録に遺愛女子高等学校・中学校歴史研究班考古学グループが出版した『在華王路示(あるけおろじ)』(archaeology=考古学)No.3-一九六二年-があるので、これを中心に煉瓦台貝塚と住居跡についてまとめて見る。
 貝塚によっては同じ場所に数千年間も人が生活していたことを示す場合もある。この煉瓦台貝塚が形成された時期は、縄文時代中期後半の余市式土器の時代であり、貝類の堆積と土層は、地点によって異なるが、一号貝塚は比較的貝層が薄く、表土の耕作土層が一〇センチメートル前後、混土貝層一〇ないし一五センチメートル、貝層一〇ないし二〇センチメートル、貝層下の遺物包含層が五ないし一〇センチメートルであった。貝層は厚い部分では五〇センチメートル以上あって、住居跡が掘り込まれている黄褐色粘土層までの深さが八〇センチメートル以上の所もある。貝塚を構成する貝類については、二号貝塚の露出部にあらかじめ二五〇平方センチメートルの面積の区画を設定し、貝層を五〇センチメートルの深さまで掘って採取分類した結果、ハマグリ六五パーセント、アサリ二六パーセント、シオフキ八パーセントで、残り一パーセントはカガミガイ、ホッキガイ、ツメタガイなどで構成されていた。すなわちこの貝塚の貝はほとんどがハマグリとアサリで占められており、これは一号、三号貝塚とも同じ傾向にある。更に現在生息している貝の種類との変異差を見るため殼高と殼頂、殼幅を計測した結果、大形のハマグリでは殼高が六センチメートル、殼長一〇・五センチメートルのものもあり、普通の形のものでも殼長七・四センチメートルと、現在のものに比べて非常に大きく、アサリも殼高三・七センチメートル、殼長四・九センチメートルと大きなものが目立つ。ハマグリは朝鮮ハマグリと言って普通のハマグリではないが、貝塚に堆積している量は莫(ばく)大なもので、今から四千年ほど前の函館湾が砂浜であり、これら二枚貝の生息に好適な条件を備えていたことがわかる。このようにして函館周辺の貝塚から発見された貝の種類の中には、現在の海岸では見られなくなっているものもある。

煉瓦台貝塚の貝類(昭和36年調査)

  貝塚を構成する貝類(煉瓦台を基準として)
 Ⅰ 腹足類
  1 エゾアワビ Haliotis(Evhaliotis)discus.
  2 エゾタマキビ Littorina squolida Blss.
  3 ツメタガイ Nereritadidyma.
  4 エゾタマガイ Natica(Teconatica).
  5 アカニシ Rapana Thomassiana(Crosse).
  6 イボニシ Thais(manicella).
  7 チヂミボラ Nucella lima(martyh).
  8 ヒメエゾホラ Neptunea(Barbitonia)arthritca Benerdi.
 Ⅱ 斧足類
  1 アサガイ Anadara infata(Reeie).
  2 エゾギンチャク Chlamys(chlamys)smifti.
  3 アカザラガイ Chlamys(chlamys)farreri.
  4 ホタテガイ Dectcu(patinopectec)yeesoencis Tay.
  5 カキ Dstrea(crasostorea)gigas.
  6 ハマグリ Meretrix meretixlinne.
  7 カガミガイ Dosiria(phacosoma).
  8 アサリ Venerupsis semidecussata.
  9 ヒメアサリ Venerupsis Variegata.
  10 ウバガイ Tpisula sachalinensis schreuek.
  11 シオフキ Mactra veneriformis.
  12 サラガイ Tellina(peronidia)lutca.
  13 オキシジミ Cyclina orientalis.
  14 イガイ Mytilus coruscus.
  15 ホッキガイ Spisula sachaliensis.
 
 これらの貝類を湯川貝塚や桔梗サイベ沢の貝層出土の貝類と比較したが、ほとんど同種類であった。また、時代的にも近い湯川貝塚の貝類も同様にハマグリとアサリが主体を占めていたことは、当時の入江が松倉河畔の湯川温泉街から本通町の通称農住団地、更に亀田川中流域の赤川通町あたりまで湾入していたことが推定される。
 貝塚出土の貝類の同定は、市立函館博物館の石川政治によるが、貝類の中央値による海水温度の報告もあり、これによると貝塚が形成された縄文時代中期から、中期後半までにおける海水温度は、現在より一~二度高かったと推定されるが、ツメタガイやホタテガイも混入しているので、寒冷な時期もあったのでないかといわれてもいる。貝類の中央値とは貝塚などから出土した貝を分類し、種類ごとにその貝の生息分布の北限と南限の緯度を求め、両緯度の中央の値を算出し、それを合計した数を貝の種類数で除した値である。

煉瓦台貝塚の貝殻の種類と大きさ