明治二十一年三月、郡役所と警察署は同一地に設置されることになったため、亀田郡役所の所在地となった七飯村に警察署が移されることになり、従来函館警察署亀田分署として存在していたものが七飯警察署亀田分署と改称された。このため亀田分署長は亀田村戸長が兼務することになり、このほかにも郡書記と警部補が併任され、巡査も行政事務を担当するなど、郡区吏員と警察官の兼任制が採られるようになった。この当時の分署長は警部補瀬島常隆が発令されている。また、亀田分署の所轄区域も以前より狭まり、次のような状況となった。『明治二十五年北海道亀田上磯茅部山越郡統計概表』にはその所轄区域が亀田 鍛冶 神山 赤川 桔梗 石川 下湯の川 上湯の川 亀尾 根崎 志苔 銭亀沢 石崎の十三か村と記されている。
このように行政官と警察官の兼任制がとられていたが、明治二十四年に至り、道庁の官制改正が行われ、行政官と警察官は分離されるようになり、次第に各地に警察業務専門の警察官が置かれ、その後明治三十年四月に再度行われた官制改革により郡、区長の警察署長及び戸長の分署長兼任制は完全に廃止されるに至った。