「亀田村は本道産業発祥地として知られた地方として、昨夏開道五十年記念博覧会開催に際し、道庁長官より拓殖功労者として表彰されたるもの一村三名の多きにのぼり、村民の亀鑑となすべきものなれば、右三氏の頌徳式に兼ねて善行者納税成績優良なる部落表彰式を来る十一日午前一時同村亀田小学校に挙行する由、功労者左の如し。故正二位 大僧正 大谷光勝法主 故従五位勲五等 園田実徳 守田岩雄」(大正八年一月七日函館毎日新聞)
大谷光勝法主は大谷派東本願寺第二一世法主、安政五年以来明治初期に至るまで、亀田村桔梗野の開拓に尽力、宝皇寺建立など、今日の桔梗村の開祖ともいうべき人である。
園田実徳(前述)は明治二十年三月、桔梗野牧場の貸下を得て、牧畜事業を開始、洋種の牛馬を輸入して改良を図り、各地に供給、牛乳の販売、植樹に力を注ぐなど園田牧場の名を高からしめた。
守田岩雄は明治二十年三月、亀田村字三角の原野三町五反歩を買入れ独立農業に従事、兼ねて鶏豚を飼育、二十一年更に同村において未開地三〇町歩余、ついで隣村に一六町歩余の貸付を得、共に成功、二十五年七月、水車を利用して、馬鈴薯澱粉製造を開始、当時村内にはわずか一人の製造者があったが、その製造法は幼稚であり、加えて販路に苦しんでいたので販路を開拓し、製造機械を改良したため、亀田村の馬鈴薯作付反別は九〇〇町歩に達し、澱粉製造改良の模範者となった。また製氷業を創始し、二十八年には長崎県に支店を設けるなど、五稜郭氷とともに函館氷を有名にした。三十五年には第一回亀田村会議員に当選して、村政に寄与し、大正四年九月、亀田村信用組合の創設に当り、組合長に挙げられるなど、亀田村における功績は多大である。
守田岩雄は、北海道庁長官よりの表彰を記念して、金子を村に寄付したので、村では「拓殖功労表彰記念守田教育積立金条例」を設定し、昭和十二年には金二、九五〇円余に達した。後年、亀田村奨学資金の基本となったものである。