式典での亀田町長近江新三郎の式辞は次のとおりである。
豊穣の秋を迎え、自治制度施行六十周年及び町制施行記念式典を挙行し、あわせて諸種の祝賀行事を行い、全町民と共に慶祝できますことは、まことに欣びに堪えない次第であります。
顧みれば、当町の歴史は古く、おおよそ五百年前の文治五年頃すでに和人が居住していた古記がありますので、その頃からささやかな村が育っていたことが想像されるのであります。降って、百六十年前の天明六年には亀田村、鍛治村、神山村の三か村で百十五戸、五百九十人が住んでいたのでありますが、明治の初期までには洪水、冷害、凶作、飢饉など幾多の天災があって、戸口も一進一退を辿ったのでありますが、明治十四年になり亀田、赤川、神山、鍛治、湯の川五か村と石川、桔梗、大中山の三か村に始めて戸長役場が設けられたのであります。
当時は熊や狐の馳駆するうっそうとした密林、人の背丈を越えた熊笹、極寒骨を刺す積雪、さては道路とて殆んどない未開の地において、あらゆる困難と戦いながら次第に農村としての素地を形造ったのであります。ついで明治二十三年に両戸長役場が廃止されて亀田、赤川、鍛治、神山、石川、桔梗の六か村が一つの戸長役場を設け、実質的に当町の誕生となりました。
かくして、年を追う毎に開拓され、戸口もその数を増し、明治三十五年四月一日より亀田村を元村として村名も亀田村と改め、戸長役場を廃止して二級町村制を施行し、ここに始めて地方自治体の実体を備えたのであります。
以上の如く幾多の変遷を経て諸種の機構も整備されるにおよび、戸口激増して村勢日増しに進展し、大正八年四月一日一級町村制を施行し、豊沃なる地味と大消費地区函館市に隣接する地の利に恵まれて農産業発達し、亀田農郷建設の基礎が確立されてきたのであります。
ひいて第二次世界大戦前後に至り、五稜郭駅を中心とする本町、港方面は、商工業頓に振興し、また引揚者の収容などにより急激に戸口の増加を示し、前地域は一大飛躍を見たのでありますが、昭和二十四年四月、これら消費地帯の多い港の一部を函館市に合併移管して、その後純農村として発展し続けて来たのであります。
しかしながら当町は大都市函館に相接しているため、昭和二十六年頃より函館市の地域の狭隘と当町の住宅適地の賃貸料低れんなどよりして好条件にあるため工場、住宅の建設が日を追う毎に増加し、全く農村の様相を一変し、大企業並びに中小企業の工場地帯及び文化的な住宅地帯として飛躍的な発展を見るに至ったのであります。
即ち、交通は函館市営電車、同バスの当町への運行、国鉄五稜郭駅、桔梗駅などにより交通機関四通発達し、都市業態に従事するものはもとより、住民の至便はこの上ない状態にあり、また将来国家的懸案の青函トンネル完成後の道外との輸送に対する五稜郭駅の重要性などを考え合せ、各種の企業が進出し、操業中のものや既に敷地の買収を終え、企業準備中のもの、また敷地買収交渉中のものなど進出の目ざましいものがあります。
産業については肥沃な二、八八一ヘクタールの農耕地があり米、馬鈴薯、雑穀、大根その他蔬菜の産地として道南にその名をうたわれ、殊に種子用男爵薯は古くから道外各地に広く移出されております。
また教育におきましては、小学校四校、分校二校、中学校二校を有し、年々人口の急増に伴う児童・生徒の増加に対処し、増築に当っては理想的建築様式を採用し、二部授業などは無く、教材教具、特別教室整備に万全を期しており、高等学校についても、昭和二十八年開校以来の仮校舎を解消し、昭和三十六年第一次として耐火構造ブロック二階建校舎の建築に着手し竣工を見、引続いて第二次建築計画を進めており、消防文化施設も逐年充実し、産業諸団体また経営整備され、健全な発展を遂げております。今や当町も渡島管内に於ける八雲町、上磯町につぎ戸数四、五〇四戸、人口二一、二六六人の町となり而も函館市に隣接する地の利を得て、字本町、富岡、赤川通、昭和、港、中道、本通地区は住宅の新築転入者逐年急増をたどり、町の総人口の六割余を占め、中心市街地を形成するに至ったのであります。
一方、道内外各種メーカーの工場新築は増加のすう勢であり、飛躍的な発展が約束づけられている為、多年挙村的要望であった亀田村を町とすることに昨年十月臨時第二回村議会に於て満場一致で議決がなされ、本年一月一日より自治省告示により新生亀田町の発足を見、従来の村造り行政を更に推進して飛躍した施設計画の実施に総力を結集し、住みよい大亀田町の建設に邁進しているのであります。
かくの如く当町が自治制施行六十周年を経、また村から町となった今日に至るまでの発展の成果は、申すまでもなく、来住以来あらゆる困難と戦い、倦まず町の発展のため血の努力をされた先住者各位の恩恵でありまして、これらの方々のご労苦を想いますとき、私は深い感銘を覚えると共に先人の流された尊い汗の結晶に感謝の誠を捧げるものであります。
また、この六十年は坦々たる道ではなく、相次ぐ風水害、冷害、経済不況の起伏消長がありましたが、歴代首長並びに先輩各位の時代に遅れないところの不屈不撓の献身的な努力によって、理想郷亀田町建設の礎を築いたものであることに深く感銘するものであります。
晴れの記念式典には八十八名の方々を功労者として表彰致しますのも、我々町民の感謝の念に外ならないのでありまして、その偉業功績を讃え、以てこれを後世に伝えんとする次第でありまして、私は謹んで表彰を受けられる各位のご健康とご一家の繁栄をお祈り申し上げるものであります。
私はこの輝しい記念式典行事に際し過去を偲び現在を省み、更に洋々たる前途の姿を想うとき、郷土の発展はむしろ今後にあると痛感し、全町民と共に先人の心を心として一層の精進と奮起を誓うものであります。
ここに自治制施行六十周年並びに町制施行を祝福し、町勢の進展に寄与せられました関係諸官公庁並びに町民各位のご協力とご努力に対し深甚なる敬意を表するとともに、今後一層のご尽力を切望する次第であります。