函館空港が位置する段丘の上は、縄文時代早期や前期、あるいは擦文時代の集落が広がり、また、集落に関連した遺構もいくつか存在している。ここでは、空港遺跡群の中に存在する各時期の集落跡の移り変わりと、それに付随するある種特定の場所の使われ方などについてみてみることにしたい。
中野A・B遺跡は、一つの小河川を挟む両岸に広がりをみせる二つの遺跡であるが、それぞれ構成する集落の時期は遺跡間で違いがみられる。たとえば、中野A遺跡に物見台式土器の集落が形成される時期は、対岸の中野B遺跡には同時に集落が存在した様子はほとんどないようである。反対に中野B遺跡のように、密集度の高い集落が形成される住吉町式土器の時期には、中野A遺跡ではほとんど活動した痕跡が見当たらない。さらに後続するムシリⅠ式土器の時期においても、活動の拠点は中野B遺跡であり、中野A遺跡の範囲にも集落が広がることはないようである。この後、早期末頃になると再び中野A遺跡に小集団の集落が構成され、前期初頭頃の時期にもごく僅かではあるが住居の存在がみられる。
このように、小河川を取り囲んだ広い範囲に集落が形成されることはなく、それぞれ一定の時期には左岸か右岸のどちらかを選択して、偏った配置をしていたものとみられる。中野A遺跡と中野B遺跡は、ともに早期の集落跡ではあるが、どうやら直接的な集団のつながりはなかったものと考えられる。ただ、比較的長い期間にわたって一つの小河川に沿った形で生活を営んでいたということは、この地がよほど生活環境が整っていた場所であったことを物語っている。
この両遺跡から出土した遺物の中で、土器では貝殻文による尖底土器が主体となる点では同様なものといえるが、物見台式と住吉町式とでは文様構成や形態はかなり異なっている。また、後続する平底土器でも中野B遺跡のムシリⅠ式と中野A遺跡の中茶路式では、時期や文様構成などにおいても違いがみられる。
次に石器では、早期特有の基部が内湾する石鏃や木葉形の石槍、縦長のつまみ付きナイフ、箆状石器、石錐などの剥片石器類や、擦り切り技法による磨製石斧、および平らな河原石を用いた多量の石錘の存在などが特徴的である。どちらかというと、中野A・B両遺跡において、使用された石器の種類はほぼ同様なものといえるが、それぞれの数量的な構成内容は多少異なっているようである。