志苔村

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 志苔村の宅地はすべて字志苔にあり、全部で八五筆である。この所有者が五八戸で、一戸平均は一・五筆である。一筆所有する者が三六戸、二筆が一九戸、三筆が二戸、六筆が一戸である。
 宅地は、「銭亀沢村土地連絡実測原図(以下「土地連絡図」と略)」(一九一二年作成 北海道渡島支庁農業振興部管理課事業用地係蔵)と照合すると、根崎村との境、瀬戸川沿いを地番一番とし、海岸沿いの道路に沿って主に山側に一列に(一部道路を挟んで海側にもあるが)銭亀沢村境までびっしりと並んでいる。この内、宅地地番五五から六二および七二から八三、つまり中央よりやや銭亀沢村寄りの一一筆が宅地等級一等である(以下図1・4・2参照)。次にこの一等地の両側に並ぶ四三筆が二等、そしてこれに続く銭亀沢、根崎両村に接するまでの二五筆が三等である。宅地等級からみる限り、志苔川の東側、銭亀沢村の少し手前あたりまでが村内で比較的経済的価値の高い地所であり、まさに志苔館の築かれた場所でもある。村内の宅地各筆の所有者を図1・4・2に示しておいた。
 次に村内の耕地は九四筆あり、すべて畑地となっている(前掲「亀田郡各村物産表」には一町三畝二三歩の田段別および粳の収穫高が記載されている)。字志苔沢に三〇筆、赤坂に二五筆、志苔に二一筆、瀬戸川に一八筆である。字ごとの耕地筆数と等級の関係を表わしたのが表1・4・4である。
 このほか志苔村民は村外の坂ノ下、女名ノ沢、嘴止鷲、川原続(亀尾村)、石倉沢(銭亀沢村か)に計二二筆の耕地を持ち、これらはほとんど等級一等である。
 村内外合わせて一一六筆の耕地があり、耕地を持つのは五六戸である。一戸平均約二筆の耕地を持っている。
 後で述べる海産干場の割渡年代とその所有者が持つ耕地の字名の関係をみてみると、志苔や志苔沢に耕地を持つのは割渡年代の古い海産干場を所有するものに多く、年代の新しい海産干場所有者はほとんどが瀬戸川、赤坂に耕地を所有している。このことから志苔村の耕地は字志苔、志苔沢から開発され始め、次第に字瀬戸川、赤坂へと拡っていったことがわかる。
 次に志苔村の海産干場はそのほとんどが昆布場で、海岸沿いの道路の海側に一列に並んでいる。
 海産干場の調書に付された一筆ごとの番号と「土地連絡図」に見られる干場の地番とで番号の付け方が違っているため断定することはできないが、宅地および海産干場の所有者の並び順から考えて、おそらく根崎村境から銭亀沢村へ向かって一番から六三番まで番号がつけられたものと思われる。しかし、一九番が欠番となっており、全部で六二筆である。「土地連絡図」によれば字東風の海産干場が一九番と二七番となっており、その所有者の宅地地番が一九番であることからこれのことかとも考えられるが、それでは二七番の海産干場が重複するので、志苔村の一九番海産干場に関しては不明である。

表1・4・4 志苔村耕地等級表  (単位:筆)
「地位等級調」(北海道立文書館蔵 簿書番号2826)により作成

 

図1・4・2 志苔村における宅地等地番所有者調(明治13年頃)


大正期の志苔村(「函館支庁管内町村誌」北海道立文書館蔵)

 また、村内には字東風に二筆の鰯漁場があり、このほか根崎村にも二筆の鰯漁場を所有しているので、志苔村村民が所有する海産干場は全部で六六筆である。これらの海産干場はその調書には等級の記載がなく、経済的価値については不明である。ただし、一九番、二七番については「漁場昆布場地価反金表」(北海道立文書館蔵 簿書番号一〇四五六)に等級一等として記載されており、これは字東風一九番、二七番の鰯漁場のことであろう。
 志苔村の昆布場は道路を挟んで相対する宅地と間口がほぼ同じであること、また、宅地所有者の並び順と昆布場所有者の並び順が同じであることなどから、志苔村においては宅地の向かいの浜をそれぞれ宅地と同じ間口でしきって、昆布場として使用していたのであろう。
 次に昆布場の割渡年次をみてみると、三六番から四七番、つまりちょうど宅地等級の一等にあたる中心地よりやや銭亀沢村寄りの部分に村内では最も古い一六世紀後半に割り渡されたものが多く、この近辺から昆布場の開発が始まったのであろう。次いで、そこから西の方向へ開発がおこなわれ、嘉永から明治初年頃には根崎、銭亀沢両村に接する付近まで開発されほぼ村内の海岸線を埋めつくすことになる。
 また、村内の鰯漁場二筆は元文三(一七三八)年と天保二(一八三一)年、根崎村のものは嘉永三(一八五〇)年以降の割り渡しであり、昆布場よりかなり遅れて開発されたようである。
 昆布場の割渡年代と筆数の関係を表わしたのが表1・4・5である。一六世紀後半に始まる昆布場の開発は一七世紀後半には戸数二四から二五に対し一一筆であるが、一八世紀半ばから順調に進み、一八世紀末には戸数三〇余に対し三三筆、一九世紀半ばには戸数五〇余に対し四三筆と戸口の増加にともない昆布場も開発されていった様子がわかる。
 

現在の志海苔町の干場


表1・4・5 志苔村海産干場割渡年代別筆数
昆布場及取獲高調」(北海道立文書館蔵 簿書番号1784)により作成  ( )は鰯漁場筆数で、内数