表1・7・2 銭亀沢魚種別漁獲高の推移
北海道開発局『渡島東部海藻地帯における漁業生産構造調査報告』昭和36年 より作成
注)総計はその他を含む数値、27年は記載なし
図1・7・10 各漁業協同組合別水産物取扱高の推移
各『漁業協同組合業務報告書』より作成
表1・7・3 石崎漁業協同組合の水産物取扱高推移
各年次『石崎漁業協同組合業務報告書』より作成
注)イカ・ウニ・カレイ等、その他はワカメなどの海藻類
表1・7・2からは、漁獲の割合の高い魚種がイワシからイカに移行し、ついでコンブヘの移行を予測させてくれる。昭和二十三年には、イカ漁業の漁獲高が村内総水揚高の八〇から九〇パーセント、金額において七〇パーセントにまで及んだ。この生産額に示されるイカ漁業の圧倒的優位性が、昭和三十一年の大凶漁の年まで続く(『渡島東部海藻地帯における漁業生産構造調査報告』)。
しかし、これ以降の漁獲高は図1・7・10から類推できるように、昭和三十年代から同四十年代中頃まで道南沿岸の海況の変化にともなう水産資源の枯渇が著しい。この時期は、「慢性的凶漁地帯として、漁業転換計画の促進が叫ばれる一方、貧窮と過剰人口問題の解決が社会的に要請される」(北海道開発局『道南漁村の構造と変遷』昭和三十三年)という現状であった。
また、沿岸漁業の生産力の発展を期すには「漁場利用の総合的管理を含めた広義の生産の共同化が必要であり、これらの漁場利用と共に当然共同施設の拡充、漁業調整、試験、研究等とこれが為の財政融資等が一連の総合的な形で実施されねばならぬ」(「銭亀沢中央漁業共同組合設立関係綴」昭和三十六年 北海道立文書館蔵)という広域的漁業経営が求められていた。
これらの課題に対し、昭和四十八年の『渡島東部地域沿岸漁業構造改善計画書』は、「漁場および資源等の地域的特性を生かし、コンブを中心にワカメ、ウニ、アワビ等の貝草類増養殖地帯を形成する一方、漁場、資源条件に即した漁船漁業の発展をはかることを重点方向として、海草、貝類等の増養殖の拡大、海峡地帯漁場の開発、大規模魚礁群による漁場の造成、サケ・マスふ化放流の拡大等を積極的に進める。これと併行して、漁業経営の近代化、合理化を促進するとともに、漁獲物の流通を改善する」との総括のとおり“とる漁業”から“育てる漁業”への転換とともに、漁業協同組合の再編が大きな柱となっている(図1・7・11・『石崎漁業協同組合業務報告書』の表紙写真参照)。
図1・7・11 渡島東部地域の栽培漁業開発構想(『渡島東部地域沿岸漁業構造改善計画書』より)
漁業構造の転換は、表1・7・3の「促成昆布」の数値の推移から理解できよう。また、事業の協同化は、函館地区さけます増殖振興会が、銭亀沢漁業協同組合を中心に函館市内六漁協組により、汐泊川のサケ・マスの増殖事業を昭和四十三年から実施している(昭和四十七年十一月十日付「道新」)。養殖コンブの種苗供給施設の建設も函館市内六漁協組によっている(昭和四十九年二月二十四日付「道新」)。しかしながら、銭亀沢の漁業協同組合の合併については、「既存漁業権、漁協財産、役員構成などの思惑がからみ“総論賛成、各論反対”の現状」(昭和五十一年九月三日付「道新」)で現在も合併には至っていない。
「育てる漁業」は、漁業の工業化を推進しており設備投資に対する安定した生産品の供給とともに、労働力の定数化も内包している。
わかめ養殖試験事業(昭和42年度)
養殖こんぶはさみ込式作業状況(昭和44年度)
石崎漁業協同組合新事務所新築落成(昭和48年度)
共同種苗供給センターによる促成こんぶの成育状況(昭和49年度)
第2回石崎産養殖わかめ即売会(昭和51年度)
石崎漁港第6次整備完了(昭和55年度)
組合自営さけ定置漁業(昭和59年度)
うに種苗放流作業(昭和61年度)