コラム(女の仕事4)

318 ~ 320 / 521ページ
                       (文集『赤い夕日』11号の自由研究より…原文のまま)
   出稼ぎ
               第七組 編輯者 島崎かな
 一、行先・期間・人員。
 私達の郷土では春になると此の沖で何も獲るものがなくなってしまふので方々へ出稼ぎに行く。私達はこれから其の出稼ぎに就いて種々の事柄を調べる。
 下圖に示す通り日本海方面で寒流に乗って來る鰊を獲る爲岩内増毛一帯の地に稼ぎに出る。二三月頃になれば行李を背負った若い人達が續々と通る。樺太方面の出稼人である。其の方面を圖で示せば次頁の通りで、凾館から先づ大に着き此處から亜庭湾を二つに分けて東、西湾内になって大抵は此の兩湾内で働く。鰊が獲れる。其の外西の眞岡、本斗、居では蟹がとれて、又、春惠須取では鰊が獲れる。東海岸は榮濱、元地帯で稼いで鰊を獲る。
 樺太行きに稍々遅れて沿海洲方面へ行く。向ふでは鰊、鱒獲りをする。樺太の出稼人が歸る頃になれば、そろそろオホーツク海カムチャッカ方面に出掛ける。オホーツク海では春は鯨を獲って夏は鮭、昆布採り等をするが、カムチャッカでは種々のものを獲り其の主なものでは蟹、鱈、鮭等である。
 それ等方々へ出稼ぎ人として行く人は一部落に就き約何割行くか。それを人口約二百人に比較して一割五分、戸数五十戸では二割四分の稼ぎ人が出る事になる。それでは出稼人一箇所に何人行くかと言へば、左の表の通りで最も多く行く所は樺太で、樺太行が行ってしまふと村は男の人が少なくて大変淋しくなる。
 
 二、出稼ぎ人と年令。
 出稼ぎ人は六年生を卒業すれば、早い人はどうしても行かねばならない。其の程度は年が少くとも一見して丈夫さうな背の大きい者が一人前として使はれる。

[北海道図]


[南樺太図]


[出稼地]

 今此處に六年生の卒業生として方々に出稼ぎに行く者と、高等科に上る者とがある。其の結果を見れば、出稼ぎに行った者は或は一人前の働き手となって歸るかも知れないが、未だ心がしっかりして居ないから斯う言ふ事は斯う言ふ方法でして行かうと言ふ考へもなく唯大きい人達の眞似ばかりして末は出世の望まれない人が有勝ちである。それに引きかへ、高等科を卒業して暫く親の許で働き心持のしっかりした所で稼ぎに出れば、或は世の中の種々の事は分らないかも知れないが、艱苦に打克つだけの体力と氣力智能を持って居ると思ふ。其の人がさうしなければ生活に困ると言ふ家ならば止むを得ない事であるが、六年生で卒業さして、直ぐ出稼ぎにやる事は、其の人の心を不具にする事が多いから反省しなければならない事だと思ふ。
 
 三、女の出稼人。
 さうした男の人達の中には女の人も二、三居る事がある。男の人達が働いて居る所へ行って御飯炊きをするのである。又一家から獨りで多くの女達と蟹罐詰の女工さんとして行く人もあるが、これも考へなければならない事だと思ふ。それは女と言ふ者は家に居て家事に手傳ひするのが本務である。わざわざ遠所迄も行って働かなくともよい事になってゐる。若し遠い所迄も働きに行った時は家事は一つも分らなくなり、女として持たねばならない心持を失ってしまひ、眞實に女生として一番悪いとされてゐる所謂人前も憚らないと言ふやうな心持を捕へて來て、それを一番良いやうに思って得々として居る。此のやうな人達は遠い所に働きに行って多くの人の中に入って種々の事をするのは嬉しい事だと思って居るのだ。だからだらしなくなるにいゝだけなって、家に居てせっせと働いて居る女の人と比べて見れば、頭の先から足の先迄飾って大きな顔をして歩いて居る。働く事は大へんよい事であるが働いてゐる中に悪い心になったりしてゐる人がある。
 
 四、給料。
 遠い所に出稼ぎに行って辛い目に合って働いた働き高は一体どれ程であるかを表はして見れば左表のやうであるが、その貰った給料を其の儘持って來ると言ふ事は到底出來ない事である。それは家の子供達は出稼ぎ人が歸る時になれば必ずお土産を買って來るものだと思って居る。一はお土産の爲、又使はれた人が歸りの船賃や汽車賃を出して呉れない時は自分で其の給料から出して使はねばならぬからである。其の使った後幾らかのお金が家、村に入って家では直接費用に充てられ、村は豊富になり基本財産が多くなる。
 考へて見るに、此の村はこれと言って食べて行く爲に魚は春は少いし、又副業と言っても此の村では考へて居る事はなく又行はれて居らない。故に郷土で唯ぶらぶらとして春を過ごすよりも、幾らでも家の生活を助ける爲に魚の多く獲れる所で稼ぐのだ。他村(此の沿岸の村)と比べて見るに同じ魚を獲って居乍ら他村は出稼ぎに出なくとも私達の村の人が出稼ぎする時、家に居て生活を立てゝ行けるのは何故だらうか。先生も何時か言はれたやうに生活が下手なのではないだらうか。生活の下手、それは澤山のお金を取れば直ぐ使ってしまふ事だ。
 
 五、出稼ぎの心得。
 最もいけないと思ふ事は十四五才頃から出稼ぎにやる家である。出稼ぎは多くの人中で働くから、餘程大きくなって、しっかりした心持で眞面目の働かなければ、ともすればふしだらになる。「朱に交はれば朱くなる。」誰彼區別なく働いて居る所に出れば、自づとそうなるのが當然であると言つていヽ。各自が氣を付けて改めなければばらない事だ。
(地圖挿入者  島崎かな)