漁に携わる時の男性の仕事着

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 かつて春は千島樺太カムチャツカなどへの出稼ぎ漁、夏は昆布、夏から秋はイカ、秋から冬にかけては鰯漁など、年間を通して漁に携わってきたこの地区の男性の仕事着には、海水や風を防ぎ、寒さにも耐え得る働きやすいものが必要であった。そのため、昭和の初め頃までは木綿刺子胴着のドンジャに木綿地の股引、手にテッケシをはめ、頭には手拭や風呂敷をかぶり、風に飛ばされないように上から手拭のねじり鉢巻きを締める形態がとられ、寒い時は綿入れの袖ナシやチャンチャンなどを重ねて着たり、船主などは一匹物の熊の毛皮などを着ることもあった。また、合羽のない頃は藁蓑(わらみの)を着け、頭を三角風呂敷で覆った上に菅笠(すげがさ)などをかぶったりしていた。足にも大正期の頃には紐付き足袋に藁の深靴やワラジカケに草鞋などを履いた。
 一方、鰯取りで網の口を結ぶカラクリ番は、半纏(はんてん)の下に晒(さらし)半反ぐらいを胴巻きし、下衣は寒中でも袴下(内側がネル地で腰と足首を紐で縛る股引形態のもの)一枚で海に入り、上がってくるとすぐ風呂に入って体を温めたという。沖の漁でドンジャを着たのは昭和初期頃までであり、その後、陸での仕事や防寒用の外套代わりに羽織ったりするのにはよく使われたが、作業着に洋服形態が取り入れられてくると、機能上からも丈の長いドンジャは、沖での仕事着としては着られなくなっていった。
 昭和十年代には、沖へ出るときは、上衣はメリヤスシャツや西陣木綿の詰め襟長袖シャツにセーター、綿入れ袖ナシ、チャンチャンコ、チャンチャンなどを重ね着し、ゴム合羽を上から着たりした。下衣は、褌(ふんどし)やサルマタ、パンツなどにメリヤスの股引や袷の股引(裏がネル、表が西陣木綿で股にサシワー襠(まち)を入れ、後ろに紐を付け前で締める形)やコール天のズボンなどがはかれるようになった。足には毛糸の靴下や足袋にゴム長靴やタカジョウ(地下足袋)を履くようになり、手にも軍手をはめるようになったがテッケシをはめる者もいた。夏はシャツ一枚にズボン、頭は手拭で鉢巻きをし足にはタカジョウを履いた。作業をする時は幅広の帆前掛けをした。

男性用ドンジャ(松田トシ蔵)

 戦後は洋服形式になり、夏は開襟シャツや綿のシャツにナッパズボン(帆布の様な丈夫な布でできていた)を履くようになった。冬はセーターの上にジャンパーやゴム合羽を着、ナッパズボンに長靴や合羽ズボンをはいたり、胴付きと呼ばれる靴の付いた合羽ズボンがはかれるようになった。胴付きの下は股引やズボンをはき、胴付きが下がらないように肩からバンドを付け、さらに腰をゴムの紐で締めた。昆布漁では、前が汚れるのでゴム製の前掛けを掛けたが、長靴は滑るので地下足袋を履いたりした。手には軍手やゴム手をはめ、頭には帽子をかぶったりした。中には風呂敷や手拭をかぶる者もいた。
 その後、耐水性や伸縮性があり、保温性に優れた化学繊維が次々に開発され、昭和三十年代後半頃よりスポーツウェアーのジャージーが合羽の下に着られるようになり、さらに最近ではウエットスーツ的な材質も海の仕事着に取り入れられており、履物も軽くて耐水性、保温性に優れた材質で作られた長靴などが用いられている。