石崎火葬場

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 戦前の記録が残っていないので正確なことは判らないが、古老からの聞き取りによると、石崎では昭和初年には煉瓦積みの炉をもった木造平屋の火葬場が建てられていたようである。昭和九年の函館大火の時に漂着した遺体を荼毘に付したのもこの火葬場であろう。それ以前は現在の共同墓地の一画に一〇畳ほどの土間を作り、そこに六尺に三尺の鉄板を二枚敷き四隅に柱を立て平トタンで屋根を覆い、回りを土手で囲った簡素な火葬場が作られていた。風の強い時はトタンで回りを囲った。
 昭和二十七年五月に木造平屋建、煉瓦積み炉にコンクリート製煙突を具えた火葬場が旧火葬場跡に新築された。当時の使用料は、大人が八〇〇円で、薪持参の場合は六五〇円、小人は三〇〇円であった。昭和三十九年一月には炉の手直し(座棺用から寝棺用に)や煙突の改築(古いコンクリート製煙突は溝を掘ってそのまま倒して埋め、新に煉瓦製煙突を建てる)がおこなわれて、以後昭和六十一年まで使用されたが、施設の老朽化やヤキコの不在から二月二十八日を最後に廃止された。現在は函館の船見町や戸井町小安の火葬場を利用している。