地震の一般的な意味では、大地が震動することを指すが、このような地震動(じしんどう)を生じる原因となった地層・岩石圏内部の破壊現象をも指している。したがって、地震の大きさの程度を示す指標は、前者の意味ではマグニチュード(M)になる。このため、地震の規模(マグニチュード)と表現した場合、本来は岩石の破壊現象の規模を意味するが、よく、震度の意味(強さ)に誤解されることがあるため注意を要する。
ところで、北海道およびその周辺地域を震源にした地震では、震度階(しんどかい)(震度1、2、3…)の地理的分布にかなり不規則な部分が認められる。すなわち、1952年からの地震動を解析した結果(後藤ほか、1983)、浦河海岸・苫小牧・倶知安・長万部・八雲海岸・函館はゆれやすいのに対し、網走・北見・旭川ではゆれにくい。図3.3の被害地震の震度分布図(三浦ほか、1989)をみると、いずれの地震でも、まわりに比較して大きな震度を示す地域が、海岸に面した沖積平野や低い台地で認められた。渡島半島でも大きな震度を示すのは、長万部から八雲海岸の泥炭地や函館平野のような、更新世末期〜完新世初頭の海成層を含む軟弱(なんじゃく)地盤が厚く堆積しているところである。
図3.3 主な被害地震の震度分布図(三浦ほか,1989)
恵山町域を含む亀田半島下海岸一帯では、地震に際し地震動による直接の震害は軽微であっても、直後の津波による被害が大きい。表3・1は、1611年(慶長16年)〜1993年(平成5年)間の渡島半島に関係のある歴史時代の地震・津波災害を年代順にまとめたものである。
北海道付近の地震(M≧6で、1611年以降のもの)で、大きな被害をもたらしたものは20回以上の記録があるが、表3.1の渡島半島に限定した主な被害地震・津波は計16回である。なお、表3.1の年表には、北海道近海以外で起こって、日本沿岸に大きな被害を及ぼした「遠地津波(えんちつなみ)」と呼ばれるものが2回含まれている。これは特に南米チリで起こったチリ地震による津波の被害である。とくに、チリ地震は1960年5月22日19時11分(世界時)に起こり、Msは8.3程度で頭うちであったが、Mwは9.5で、地震記録の残っているものとしては観測史上最大の巨大地震であった。そして、余震域付近の海岸では10メートル以上の津波があった。チリ国内の地震と津波による死者はおよそ5,700人とされる。日本では約23時間後に北海道から三陸沿岸にかけて最大5〜6メートルの高さの津波が次々に襲い、死者・行方不明者142人、家屋全壊・流失2,830戸などの被害を出した。北海道内の被害は、道東の浜中町霧波布(きりたっぷ)を中心に釧路・浦河・函館などで、死者11人、家屋半全壊・流失584戸、船舶の沈没68隻、函館地方の床上浸水1,145に及んだ。
地震津波では、海岸近くの浅所にくると急激に波高を増して陸上に溢れる。発生時の波の数は多くないが、海岸では大波が5〜6波到達し、そのうち第2か第3波が最大になるのが普通である。波の周期は数分から1時間程度まである。マグニチュード(M)7以下ではそれほど大きな津波が起こらないといわれているが、まれには、1896年(明治29年)の明治三陸地震津波のように、Mが小さいのに巨大な津波が発生することがある(表3.1)。したがって、津軽海峡東口の太平洋に開いた恵山町海岸部では、北海道太平洋沿岸沖に発生した地震はもとより、東北地方三陸沖の地震にも十分な注意を要する。また、駒ヶ岳・恵山の火山噴火が原因で、火山性の津波が発生する危険性もあるので、今後とも火山の噴火災害の際には一層の警戒が必要であろう。
周知のように、津波予報は地震後20分以内に発表されることになっている。地震後、津波が海岸に襲来するまでの最短時間は、海岸から震央までの距離によって異なるが、およそ、数分ないし30分位である。津波の高さは、海岸の地形に著しく左右される。例えば、東北地方の三陸海岸のようなリアス式海岸では著しく高くなる。津波予報は、地震後短時間のうちに発表されるので、予報の精度は十分でないこともある。
津波予報が発表されたら、①ツナミチュウイ(津波があると、その高さは高い所でも数10センチメートル程度の見込み)、②ツナミ(津波が予想され、高さは高い所で約2メートルに達する見込み、とくに津波が大きくなりやすい所では警戒を要する。その他の所では数10センチメートル程度の見込み)、③オオツナミ(大津波来襲、高さは高い所で約3メートル以上に達する見込み、厳重な警戒を要する。その他の所でも1メートル位に達する見込み)のいずれであっても沿岸住民の避難が肝要である。また、恵山町海岸での震度が小さいからといって、津波が小さいことにはならないから侮(あなど)らないで、直ちに避難・警戒することが大切である。
渡島半島の内陸または周辺の海底で発生する特徴的な地震に、いわゆる「群発(ぐんぱつ)地震」がある。飛び抜けて大きな地震を含まない一連の地震活動を群発地震と呼ぶが、地震の数が目だって多い、徐々に活発になりやがて徐々に低下する、などの活動も含める場合がある。
1955年(昭和30年)以降に観測された渡島半島の群発(ぐんぱつ)地震は次のようなものがある。
・1978年(昭和53年)〜82年(昭和57年)函館群発地震、これは函館南方沖の津軽海峡海底で起き1978年10月末〜82年5月5日のM4.4の地震で終息した。この間、函館で38回の有感地震が記録された。原因は、函館市東部、銭亀沖2.5キロメートル水深約50メートルの海底火山「銭亀火山」の直径2キロメートルの火口付近、マグマ活動に由来するという説(北大有珠火山観測所、岡田弘所長による説)がある(島村・森谷、1994)。
汐首岬や恵山町に近い海底火山の活動であり、今後警戒を要する所である。
・1970年(昭和45年)横津岳の群発地震
・1966年(昭和41年)八雲町鉛川の群発地震(最大M4.6)
・1957年(昭和32年)熊石の群発地震
・1955年(昭和30年)江差沖の群発地震
表3.1 渡島半島地震・津波災害年表
文献:古川竜太ほか(1997)・新版地学辞典(1996)・小池省二(1995)・武者金吉(1995)・北海道南西沖地震記録書作成委員会(1995)・島村・森谷(1994)・日本活火山総覧第2版(1991)・藤原嘉樹(1990)・椴法華村史(1989)・理科年表(1988)・北海道大百科事典(1981)・函館市史(1980)・北海道防災会議編:駒ヶ岳(1975)・渡島大島(1977)・恵山(1983)・1968年十勝沖地震調査委員会(1969)・新北海道史第七巻史料一(1969)・日本噴火志上編(1918)