(5)円筒土器文化の崩壊

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 東北地方北部から道央で繁栄した円筒土器群も、サイベ沢Ⅶ式以降になると急速に衰え、代わって東北地方南部に中心があった大木式土器群がしだいに北上し、北海道にも影響を及ぼすようになる。円筒土器の終末期に前後して、沈線によった渦巻文や曲線文を特徴とする大木8b式や榎林(えのきばやし)式(第23図1~4)、中の平Ⅱ・Ⅲ式(第23図5~9)といった大木式系の土器が出現し始める。南茅部臼尻B遺跡ではこの時期の住居跡が74軒発見されており、住居は円形または楕円形が基本で住居内には埋甕炉、方形石組炉、円形石組炉、石組埋甕炉などが設けられるようになることが明らかになっている。
 大木系土器群は北海道独自の発展をし道南から道央に分布した口縁部から胴部に「たが状」に太い貼付文がめぐる余市式系土器群が誕生する。大安在B式、ノッダプⅡ式(第23図17~19)、余市式、静狩式(第23図12)・煉瓦台式(第23図13~16)、伊達山式(第23図20)などと呼ばれている土器群である。
 海岸部に位置したこの時期の遺跡は貝塚を伴うことが多く、函館市の旧海岸線沿いに分布した天佑寺貝塚湯ノ川貝塚戸井町戸井貝塚はこの時期に形成されたものである。中国の青竜刀に形が似た、安山岩製の青竜刀形石器(第24図)と呼ばれる石器が出現するのもこの時期である。

第23図 中期末の土器(1~4、大木・榎林式、5~9、中の平Ⅱ式、10~11、最花式、12、静狩式、13~16、レンガ台式、17~19、ノダップⅡ式、20、伊達山式)
高橋正勝「北海道南部の土器」『縄文文化の研究4』雄山閣、1981


第24図 青竜刀形石器(八雲町栄浜遺跡)
『栄浜』八雲町教育委員会、1983