日の浜砂丘1遺跡出土の遺物のうち大半を占めるのが、次に続く椴川式土器(第26図2、4~7、第27図11~17)と、それにともなう石器類である(第28図)。胎土に多量の繊維を含む円筒形土器で、口縁が平らなものが多いが、山形の突起をもった波状口縁の土器も見られる。頚部の隆起帯には指圧文、太い沈線文や胴部の施文原体の押圧文が施文され、口縁部には結節回転文、変形網目状撚糸文、格子状撚糸文が施文されたもののほかに、単節・複節縄文、撚糸文、結節回転文が施文され隆起帯をもたないものもある。
中浜E遺跡では長円形の一部が道路で切られた、住居中央付近に深鉢が埋設された方形の掘り込み炉をもった中期前葉の住居跡が発掘され、床面から完形に近いサイベ沢Ⅴ・Ⅵ式土器(第29図1~4)と、第30図1~15に示した石鏃、掻器、石斧、磨石、敲石、石皿などが出土している(北海道埋蔵文化財センター、1985)。このほかに、古武井9遺跡からは中期初頭の古武井式とそれに続くサイベ沢Ⅴ式土器片や北海道式石冠(第31図4、6~9、18~20)、擦り石などが出土している(小笠原、1984)。
正式な報告はないが吉崎(1965)によると、日の浜遺跡では砂鉄採取工事にともなった剥土で、多軸状撚糸文が施文されたサイベ沢Ⅲ式土器をともなう、直径8メートルをこす、中央部に炉跡をもった大形の円形をした竪穴住居3軒が見られたという。サイベ沢Ⅲ式土器をともなった住居跡は、昭和39年に市立函館博物館によって発掘されたいわゆる「日の浜型住居」によって切断された状態でも発掘されている。
円形の掘り込みの中にさらに五角形の掘り込みをもった日の浜型住居は昭和39年に日の浜遺跡(写真1)と川上遺跡(写真2)で発見されていたが、昭和41年にも日の浜遺跡で倒立したほぼ完形な古武井式土器を伴った住居1軒が発掘されている(写真3)。同じ年には、中期中葉のサイベ沢Ⅵ式土器を伴った円形の掘り込みをもたない五角形の小型住居跡が、晩期の円形住居跡で切られた状態で発掘されている。詳細は不明だが、日の浜遺跡は最盛期のなかでも前期後葉から中期中葉までの大きな集落跡であったと考えられる。
1、日の浜型住居跡
(日の浜遺跡、昭和39年、吉崎昌一撮影)
2、日の浜型住居跡
(川上浜遺跡、昭和39年、吉崎昌一撮影)
3、日の浜型住居跡
(日の浜浜遺跡、昭和41年、吉崎昌一撮影)
第25図 日の浜砂丘1遺跡2号住居跡と出土遺物
(1~11、春日町式・トドホッケ式土器片)『日の浜砂丘1遺跡』北海道恵山町教育委員会、1986
第26図 日の浜砂丘1遺跡出土の前期の遺物(1~6、春日町式・トドホッケ式、7~10、大木2a式、11~17、椴川式)
『日の浜砂丘1遺跡』北海道恵山町教育委員会、1986
第27図 日の浜砂丘1遺跡出土の前期の遺物(1、東釧路Ⅳ式、3、トドホッケ式、2、4~7、椴川式)
『日の浜砂丘1遺跡』北海道恵山町教育委員会、1986
第28図 日の浜砂丘1遺跡出土の前期の遺物(1、打製石斧、2、4、磨製石斧、3、敲石、5、扁平打製石器、6、石冠、7、磨石、8、擦切具、9~10、石錘、11、石皿)
『日の浜砂丘1遺跡』北海道恵山町教育委員会、1986
第29図 中浜E遺跡出土の中期の遺物(2、サイベ沢Ⅴ式、1、3~4、サイベ沢Ⅳ式)
『尻岸内町中浜E遺跡』北海道埋蔵文化財センター、1985
第30図 中浜E遺跡出土の中期の遺物(1~3、石鏃、4~5、つまみ付ナイフ、6~10、スクレーパー、11、磨製石斧、12~13、敲石、14、磨石、15、石皿)
『尻岸内町中浜E遺跡』北海道埋蔵文化財センター、1985
第31図 古武井9遺跡出土の遺物(1~3、5、ノダップⅠ式、4、6~9、古武井式・サイベ沢Ⅴ式、10~16、十腰内Ⅰ式、17、ミミズク形土製品、18~19、石冠、20、磨石)
『古武井9遺跡』尻岸内町教育委員会、1984